22. 名医 令和8年9月11日
私は若い頃、幸運にも一人の名医を間近で見る機会を得た。
当時、精神科で使える薬は今ほど多くなかった。それでも彼は大勢の患者を救っていた。
知識をひけらかす医者ではなかった。珍しい薬を次々と使うわけでもない。特別な治療理論を声高に語るわけでもなかった。
それなのに患者が良くなる。
私は不思議で仕方がなかった。
同じ医局には、同じ教科書を読み、同じような薬を使い、同じような患者を診ている医者が大勢いた。それなのに治療の質には歴然とした差があった。
私は彼と、それ以外の医者たちを具に観察することになった。
これは今考えれば、臨床家として僥倖だった。
彼の診察を見ていて、次第に気づいたことがある。
彼は知識を患者に当てはめているのではなかった。
患者を見れば、その人が一体何者なのか、そしてその人にとって何が肝心なのかを、恐ろしく早く掴んでしまうのである。
患者は大量の情報を診察室に持ち込んでくる。
症状、生活史、家族、仕事、身体的不調、失敗、怒り、不安、本人なりの病気の説明。言葉だけではない。表情、声、間、姿勢、こちらへの接し方、何を繰り返し、何を語らないのか。
凡庸な医者ほど、それを一つずつ整理しようとする。そして診断基準に当てはめ、病名を決め、病名から治療を選択する。
彼は違った。
大量の情報の中から、何がsignalで何がnoiseなのかをほとんど瞬時に分けていた。
「この人では、ここだ」
という一点を掴む。
そこを掴むと、それまでばらばらに見えていた患者の症状や生活史が一つの構造として見えてくる。
だから、使える薬が少なくても治療できたのだと思う。
面白いことに、当時の彼自身は、自分がどうやってそれをやっているのか十分には言語化できていなかった。
それも今なら理解できる。
熟達した臨床能力のかなりの部分は暗黙知である。
一つ一つ論理式を組み立てて患者を理解しているのではない。膨大な臨床経験の中で形成された認知システムが、目の前の人間から重要な情報を選び出し、瞬時に全体像を構成する。
しかし、それは単なる「勘」ではない。
勘なら間違ったときにも気づかない。
彼が優れていたのは、自分の見立てより患者という現実を上位に置いていたことである。
自分が考えた診断に患者が合わなければ、患者の方を診断に押し込めるのではない。
自分の見立ての方を疑う。
私は後になって、これこそ名医を名医たらしめている重要な能力なのではないかと考えるようになった。
知識量ではない。
記憶力だけでもない。
おそらく彼の基礎的な認知能力は非常に高かったと思う。
しかし、それだけでもない。
高い観察解像度がある。
大量の情報から本質を抽出する能力がある。
矛盾を矛盾のまま保持できる。
分からないものを性急に既知のカテゴリーへ押し込まない。
そして何より、自分自身に騙されにくい。
自分の理論、自分の診断、所属集団の常識、権威者の見解よりも、目の前にある現実に最終的な拒否権を与えている。
私はこれを「対象優位の認識」と呼びたい。
そして何十年も経って、思いがけないところで彼のことを再び考えることになった。
新型コロナの時代である。
大病院には厚生労働省、医師会その他から膨大な情報が送られてきた。病院幹部には患者を守る責任がある。職員を守らなければならない。院内感染を起こせば病院の評判にもかかわる。
恐怖を感じない方がおかしい状況だった。
しかも、その恐怖は個人の内面だけに存在したのではない。
組織全体が同じ情報を共有し、互いに危険認識を確認し合う。
その中で、ある大病院ではほとんどすべての医療者がワクチン接種を選択したという。
接種しなかった医師は、私が聞いた範囲では二人だった。
一人は若い循環器内科医だった。彼には彼なりの理由があった。関連する基礎研究や循環器領域の論文を自分で読み、そこで生じた疑問を捨てなかった。
そしてもう一人が、あの精神科医だった。
それを知ったとき、私は驚くより先に、
「やっぱりな」
と思った。
非接種だったから彼を名医だと思ったのではない。
私はその何十年も前から、彼を名医だと思っていた。
むしろ逆なのである。
若い頃、患者を診る彼を見ていて私が理解できずにいたあの能力が、全く別の状況で再び姿を現したように思えたのだ。
患者を前にしたとき、
「教科書にはこう書いてある」
より、
「しかし、この患者では実際に何が起きているのか」
を優先する。
社会全体が危機に陥ったときにも、
「権威ある人々がこう言っている」
と、
「それを裏づける現実は何なのか」
を混同しない。
これは同じ能力なのではないか。
精神科医としての名医であることと、認知能力の高さとは、実は別々のことではなかったのではないか。
もちろん、ある医療行為を受けたか受けなかったかだけで、医師の能力を評価することはできない。
重要なのは結論ではない。
そこへ至る認知過程である。
人間は恐怖の中では確実な答えを欲しがる。
周囲の全員が同じ方向へ進めば、自分もそこへ進む方が心理的にははるかに楽である。
まして自分より偉い人、行政、学会、専門家が「こちらだ」と言っている。
それでも、
「本当にそうなのか」
という問いを手放さない。
分からないときには、分からないまま留まる。
自分の違和感を、周囲との不一致だけを理由に消去しない。
これは精神科診療そのものではないか。
患者という人間は、教科書通りには存在しない。
矛盾している。
昨日と今日で違う。
本人自身にも自分が分からない。
だから優れた精神科医には、不確実性の中に留まりながら観察を続ける能力が必要になる。
早く病名を付けて安心したいのは、患者だけではない。
医者も同じなのである。
診断とは、ときとして医者自身の不安を消す装置にもなる。
名医はそこに耐える。
「まだ分からない」
という場所に立ったまま、患者を見続ける。
そして、患者の側から答えが現れてくるのを待つことができる。
私は若い頃、そのような医者を間近で見ることができた。
同時に、そうではない医者たちも大勢見ることができた。
同じ医局、同じ薬、同じ患者、同じ時代。
それなのに、なぜこれほど違うのか。
その問いを持てたこと自体が、私にとって大きな財産になった。
彼自身が当時説明できなかったものを、私はその後何十年も臨床を続けながら考えてきたのかもしれない。
そして今になって思う。
名医とは、たくさん知っている医者ではない。
目の前の現実から、何が肝心なのかを見抜ける医者である。
そして、自分の頭の中にある説明より、現実の方を尊重できる医者である。
知性とは、正しい答えを早く出す能力だけではない。
自分が間違っている可能性を残したまま、なお考え続けられる能力でもある。
恐怖の中でもそれを失わない。
権威の前でもそれを手放さない。
患者の前では、なおさら手放さない。
私は幸運だった。
精神科医になった早い時期に、その能力が実在することを、一人の医師によって教えてもらったからである。
彼が教えようとして教えてくれたのではない。
彼が患者を診ている姿そのものから、私は学んだ。
それを僥倖と呼ばずして、何と呼べばよいのだろう。
彼は、私が入局して数年で赴任先から戻って来た。医局の奥の物置部屋みたいなところが彼の研究室になった。無愛想で、いつも物憂げな表情をしていたが、時に少年のような無邪気な笑顔を見せた。カードのナポレオンに打ち興じ、囲碁も麻雀も将棋も嗜んでいた。運動音痴集団の医局の野球部を率いた。服装から運動歴からバラバラで勝とうなんて意志を持ちようもないチームを、練習試合ではユニフォームを揃えた外科系を破り、もしかしたら本番で何か起こるかも知れないっていう気にさせた。みんながついて来た。彼のスイングは美しく大きく弧を描いて打球は外野を遥かに超えた。大胆にして繊細、それがゲームや野球でも見て取れた。そして超スローボールの投手として連投し、打者は振り急ぎ三振に打ち取られ、とうとう外科を破り堂々3位入賞に導いた。不肖私はキャッチャーを拝命し、彼の球を受け、受け急ぐ余り打者妨害と判定されることもあった。