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論考

19. 科学言語・政治言語・マスコミ言語――ファウチ日記から見る「不確実性」の変容 令和8年8月19日

 アンソニー・ファウチの日記を読む際、最も興味深いのは「ファウチは正しかったのか、間違っていたのか」という人物評価ではない。むしろ注目すべきは、同じ人物の認識が、私的記録、政策助言、公的説明という異なる場面を通過するとき、どのように姿を変えるかである。

 COVID-19禍では「科学に従え(Follow the Science)」という言葉が繰り返された。しかし科学そのものが学校を閉鎖したわけでも、レストランを閉めたわけでも、人々に距離を取るよう命じたわけでもない。そこには必ず、科学的知見を政策へ翻訳し、さらに政策を社会へ伝達する過程が存在する。ファウチの日記は、この翻訳過程を考えるための貴重な資料である。


1. 科学言語――「分からない」ことを保存する言葉


 科学言語の本質は、断定しないことにある。「可能性がある」「示唆される」「理論的には考えられる」「現時点では分からない」「さらなるデータが必要である」。これは科学者が責任を回避するための曖昧な表現ではなく、知識の限界を正確に表示するための技術的言語である。

 科学的命題とは本来、条件付きのものだ。ある研究結果が得られても、それがどの集団に適用できるのか、効果量はどの程度か、交絡はないか、観察期間は十分か、再現性はあるのか――こうした問いを常に伴う。だから科学において「分からない」ことは欠陥ではない。むしろ、どこまで分かり、どこから分からないかを明示することこそ科学的誠実さの証である。

 ところがパンデミック初期のような危機状況では、この科学言語がそのままでは政策にならない。「距離を取れば感染機会が減る可能性があります」と言われれば、行政は「では何メートルですか」と聞き返す。科学者が「正確には分かりません」と答えても、学校や企業は机を何センチ離すか決めなければならない。そこで連続的で確率的だった科学的知識は、「六フィート」という離散的な行政基準へと変換される。

 ここで最初の認識論的変容が起こる。「距離が増えるほどリスクが低下する可能性がある」という科学的命題と、「六フィート離れなければならない」という行政命題は、同じものではない。後者には運用可能性、費用、社会的許容性といった判断が加わっているからだ。

2. 政治言語――「分からない」を「決める」に変換する

 政治言語の特徴は、科学言語とは逆に、最終的に決定を下さねばならない点にある。政治家は「エビデンスが不十分なので、もう少し研究しましょう」というだけでは危機を統治できない。学校を開けるのか閉めるのか、レストランを営業させるのか閉鎖するのか、外出を制限するのかしないのか――いずれも二者択一を迫られる。

 ここでファウチ日記は重要な意味を持つ。2020年3月の記録を見る限り、ファウチは単にウイルス学や感染症学上の知見を提供していただけではない。ニューヨーク市長ビル・デブラシオとのやり取りについて、学校閉鎖を促し、バーやレストランも閉鎖すべきだと伝えたことを記している。さらにシェルター・イン・プレイスについて相談された際には、"I advised DeBlasio to go ahead and do it."と自ら書き残している。


 ここで科学者の役割は変化している。「人と人との接触を減らせば感染機会が減少する」という記述的命題から、「したがって学校を閉鎖すべきである」という規範的命題へと踏み出しているからだ。しかしこの「したがって」の内側には、科学だけでは決められない大きな問題が隠れている。学校閉鎖による教育損失をどう評価するか。子どもの発達への影響はどうか。家庭内虐待や孤立、精神的健康への影響はどう見積もるか。飲食店閉鎖による失業や貧困はどう扱うか。感染症専門家は感染症について高度な専門性を持つが、その専門性だけから社会全体の損失関数を決めることはできない。つまりexpertise in infectionは、infectionに関わるあらゆる政策への権限を意味しない。


 もちろんファウチが政策を「決定した」わけではない。法的決定権を持つのは市長であり知事であり政府である。しかし日記が示すのは、少なくとも感染症専門家の助言が、純粋な科学的記述から具体的な社会政策へと踏み込んでいた事実である。この境界を明確にしておく必要がある。

3. マスコミ言語――複雑な確率を「正しい/間違い」に圧縮する

 さらに第三の段階としてマスコミ言語がある。科学者は"available evidence suggests……"と言う。専門委員会では"evidence supports……"となる。行政機関では"CDCは推奨する"となる。政治家は「我々は科学に従っている」と言う。そしてニュースでは「科学者はこう述べている」という見出しになる。

 この過程で失われるのは、available、suggests、uncertain、conditionalといった、科学的知識に付随していた不確実性を示す情報そのものである。複雑な確率分布が「安全か危険か」「有効か無効か」「科学的か反科学的か」という二値情報へと圧縮されていく。いわば認識論的圧縮とでも呼ぶべき現象である。

 マスメディアにはもう一つ制約がある。「現在のところ効果量は不明であり、複数の交絡因子が存在し、条件によって結果が異なる可能性があります」という一文より、「専門家、学校閉鎖の必要性を警告」という見出しの方が圧倒的に伝わりやすい。こうして科学的仮説は専門家の助言となり、専門家の助言は政治的決定となり、政治的決定はマスコミによって単純化され、最後には社会的常識として定着する。

4. 最も危険なのは「政策」が「科学」に逆輸入される瞬間

 さらに重要なのは、この情報伝達が一方向では終わらないことである。いったん政府がある政策を採用すると、メディアはそれを「科学に基づいた政策」として報じる。医療機関や専門学会も行政指針を参照する。すると多数の専門家が同じ政策を支持しているように見えてくる。その結果、「多くの専門家が支持している」という事実が、「これは科学的コンセンサスである」という逆方向の推論へとすり替わる。

 しかし90人の専門家が九十個の独立したデータセットを検討して同じ結論に達した場合と、90人が同じCDC文書を参照しただけの場合とでは、認識論的な意味はまったく異なる。見かけ上のnは90であっても、情報源の独立性という点では、実質的なnは一に近いかもしれない。ここを見誤ると、「専門家のコンセンサス」という言葉の実体を取り違えることになる。

5. 政策への異論が「反科学」に変わる

 三つの言語が融合すると、もう一つ重大な変化が起こる。本来「学校閉鎖による感染減少効果はどの程度か」という問いは、ごく普通の科学的な問いである。ところが学校閉鎖という政策そのものが「科学」と同一視されると、政策への疑問はいつのまにか科学への疑問となり、やがて反科学、そしてmisinformationへと格下げされていく。ここでは議論の対象が、命題そのものから発言者という人物へとすり替わっている。「この主張は正しいか」ではなく、「この人物は信頼できる人間か」が問われるようになるのだ。これは科学にとって危険な事態である。科学とは本来、異論によって自己修正していく制度だからである。

6. ファウチ日記が教えるもの

 だからファウチ日記を「ファウチが嘘をついた証拠」とだけ読むのは、むしろこの資料の価値を小さくしてしまう。もっと興味深い読み方があるはずだ。同じ出来事について、私的日記ではどう書いたか。政策担当者には何を助言したか。その時、公にはどう語ったか。メディアはどう報じたか。数年後、本人は自分の役割をどう説明したか――これを時系列に並べてみるのである。

 すると、私的な認識から科学的助言、政策提言、公的な発信、そして回顧的な説明へと至る、知識の変容過程を観察できる。その際、「誰が悪かったのか」を最初から決めてかからないことが重要だ。むしろ各段階で、何が分かっていたのか、何が分かっていなかったのか、その不確実性は正確に表示されていたのか、どの時点で価値判断が加わったのか、どの時点で暫定的な判断が確定的な事実であるかのように語られ始めたのかを、丁寧に見ていく必要がある。

 ここまで来れば、これはもはやファウチ個人を超えた問題になる。COVID期に起きたことの核心は、科学が間違ったことにあるのではない。未知の感染症について科学が誤るのは、むしろ当然のことだからだ。より重大なのは、科学が本来保持していたはずの「われわれはまだ分からない」という情報が、政治言語、行政言語、マスコミ言語へと翻訳されていく途中で、失われてしまった可能性である。

 科学言語は確率を語り、政治言語は決定を要求し、マスコミ言語は物語を要求する。この三者が接続されたとき、仮説は助言になり、助言は政策になり、政策はやがて科学的事実として社会へ戻ってくる。そして最後には誰もが、「科学に従っただけだ」と言えるようになる。

 ファウチの日記が本当に興味深いのは、この認識論的変容の過程を、リアルタイムの一次記録から逆向きに復元できる可能性を持っている点にあるのだと思う。

18. 善人だけでもシステムは暴走する ――COVID-19が露呈させた現代医学の構造的脆弱性 令和8年8月15日

 COVID-19のパンデミックを経験して、私が最も大きく認識を変えたのは、医学そのものよりも、医学を動かしている「システム」についてだった。

 それまで私は、医師というものは少なくとも自分が患者に行う治療については、その根拠を理解し、効果と危険性を吟味したうえで判断しているものだと思っていた。とりわけ内科医は身体医学の本流を自負し、検査値を読み、薬の作用機序を考え、副作用を見抜き、患者の経過を追うことを日常としている。新しい薬が登場すれば「本当に効くのか」「どのくらい危険なのか」「比較対象は何か」と考えるのが当然だと思っていた。

 ところがCOVID-19ワクチンの集団接種が始まってみると、私が目にした光景は少し違っていた。

 国から自治体へ方針が下り、自治体は接種体制を整え、病院や診療所が接種を実施する。私のいる仙台でも大規模な体制が急速に作られた。しかし接種班の責任者に少し踏み込んだ質問をしてみても、十分な答えが返ってこないことがあった。誰が何を監視しているのか。異常が生じたとき、それをどこに上げるのか。どの程度の頻度で生じれば安全性シグナルと判断するのか。数週間後、数か月後に生じた出来事をどう把握するのか。

 接種を「行う」仕組みは驚くほど速く整備された。しかし、その結果を「疑い、測定し、検証する」仕組みが同じ強さで現場に見えていたかというと、私にはそうは思えなかった。これは自治体職員個人を責めても仕方がない。市町村の職員がワクチンの薬剤疫学や因果推論まで理解していることを期待する方が無理である。問題は、彼らが分からなくても巨大な事業が進行できるシステムだったことにある。本来なら国が評価基準を作り、専門機関が安全性を監視し、市町村は標準化された情報を収集し、異常なシグナルがあれば速やかに上位へ送る。そして専門家が解析し、その結果が再び現場へ戻ってくる。そのフィードバック回路が必要だったはずである。

 ところが、これは行政だけの問題ではなかった。病院でも同じことが起きていた。

 医師たちは猛烈な勢いで接種した。精神科医なら感染症や免疫学、薬剤疫学に疎くても不思議ではない。しかし身体医学の本流にいる内科医まで、ほとんど同じように動いていた。

 ここで私は一つ重要なことに気づいた。臨床医学に詳しいことと、医学論文を批判的に評価できることは同じではない。優秀な内科医は目の前の患者については驚くほど高度な判断をする。胸痛を見れば心筋梗塞、肺塞栓、大動脈解離などを瞬時に鑑別する。腎機能や電解質を見ながら薬を調整し、副作用を疑えば処方を変更する。しかし集団を対象とした医学では別の道具が必要になる。分母は適切なのか。比較群は本当に比較可能なのか。観察期間は十分なのか。そのイベントを起こし得ない人が分母に混じっていないか。healthy vaccinee effectはないか。immortal time biasはないか。感染歴や年齢、基礎疾患などの交絡因子はどう処理されたのか。相対リスクだけでなく絶対リスクはどうなのか。そして観察研究からどこまで因果関係を言えるのか。これは循環器学や消化器学とは別の専門領域である。

 COVID-19を通して、私は薬剤疫学とファーマコビジランスの重要性を改めて知った。臨床医は一人の患者から考える。「この患者にこの薬を投与した。その後この症状が出た。薬との関連はあるだろうか」。薬剤疫学は逆方向から考える。「100万人に投与したところ、この疾患が何例発生した。非投与群では何例だった。年齢、性別、既往歴を調整すると差はどの程度残るのか」。ファーマコビジランスはさらに、実社会で発生する異常なパターンを早期に拾い上げる。

 ここで極めて重要なのは、「シグナル」と「因果関係」を区別することである。有害事象報告が増えた。それはシグナルになり得る。しかし、それだけで薬が原因とは言えない。反対に、明瞭なシグナルが見えなかったからといって、それだけで安全性が証明されたとも言えない。必要なのは適切な分母、比較群、観察期間を設定して検証することである。

 私は周囲の医師を見ながら、このような視点で原著を読んでいる内科医が驚くほど少ないことに気づいた。もちろん仙台の全医師を調査したわけではなく、あくまで私が知る範囲という限定は必要だが、私が「ここまで読んでいる」と認識した内科医はわずか数人だった。精神科医については、少なくとも私の知る範囲ではさらに見当たらなかった。

 しかし考えてみれば当然なのかもしれない。現代医学は巨大すぎる。一人の医師が循環器、感染症、腫瘍学、免疫学、統計学、薬剤疫学をすべて自分で検証することなど不可能である。そこで医学は「信頼の分業」を作った。論文は査読され、一流誌に掲載され、規制当局が審査し、専門学会が評価し、ガイドラインが作られ、大学病院が採用し、そして臨床医が患者に使う。これは極めて合理的なシステムである。

 問題は、その合理性そのものの中に脆弱性が存在することだった。研究者の次に査読者がいる。査読者の次に規制当局がいる。さらに学会があり、病院があり、医師がいる。一見すると何重もの安全網があるように見える。しかし各層が独立して原データを検証しているとは限らない。「一流誌に載っているのだから査読者が確認しただろう」「規制当局が承認したのだから専門家が検討しただろう」「学会が推奨しているのだから十分な根拠があるだろう」「病院が採用したのだから問題ないだろう」――こうして同じ情報が下流へ流れていけば、六重の安全網に見えていたものが、実は一つの判断を六回コピーしているだけということさえ起こり得る。

 ここに製薬企業が登場する。企業は利益を上げなければならない。研究開発費を回収し、売上を伸ばし、市場シェアを拡大し、株主に利益を還元する。それは資本主義社会における企業の基本的な行動原理である。だから製薬企業にとって、一人一人の医師を直接説得するよりも、医学情報の上流に働きかける方が効率がよい。臨床試験、論文化、学会発表、KOL、医学教育、ガイドライン、病院採用――ここに大きなレバレッジが存在する。もちろん、これらへの関与そのものが不正なのではない。新薬の情報を医療界へ伝えることは必要である。しかし企業には自社製品を有利に評価してもらいたいという強烈な経済的インセンティブがある。

 そしてこれは想像上の問題ではない。Pfizerを含む巨大製薬企業は過去に、適応外使用の違法な販売促進やキックバックなどをめぐって米国政府から巨額の刑事・民事上の制裁や和解を経験している。2009年のPfizerと子会社による23億ドル規模の事件は、その象徴的な例である。

 ここで重要なのは、「過去に違反した。だからCOVID-19でも不正をした」と短絡しないことである。それでは証明にならない。しかし、「過去にそのような行動が現実に起きた企業には、巨大市場において利益を最大化しようとする動機が存在する。したがって、その企業が提供するデータについては独立した検証を十分に行う必要がある」という結論なら合理的である。

 さらに罰金について考えると、問題は興味深くなる。数十億ドルという罰金は一般人から見れば途方もない額だが、一つの医薬品が数百億ドルを売り上げる市場では、その制裁が本当に十分な抑止力になっているかは別問題である。企業行動を単純化すれば、期待利益から発覚確率と期待制裁額の積を引いた値がプラスかどうか、という計算が成立する。不正を行ったときに得られる利益が巨大で、発覚確率が低く、仮に発覚しても制裁が利益より小さいなら、企業に悪人が一人もいなくても、不適切な行動へのインセンティブは残ってしまう。

 ここが重要なのである。悪意は必要ない。市場原理だけで十分なのである。

 そしてこの論理は製薬企業だけに適用すべきものでもない。行政には迅速に政策を実施したい、接種率を上げたい、混乱を避けたい、政策の誤りを認めることの政治的・組織的コストを避けたいというインセンティブがある。学会には、専門家として社会に明確な指針を示したい、混乱を避けたい、既に出した推奨を簡単には撤回したくないというインセンティブがある。病院には国や学会の標準から外れるリスクを避けたいというインセンティブがあり、医師には、何十人もの患者を診療しながらすべての原著を再解析することなどできない以上、信頼できる専門家の判断に従うことが最も合理的だというインセンティブがある。

 それぞれの主体は、自分の立場では合理的に行動している。それなのに全部を組み合わせると、企業の利益最大化が上流の医学情報への働きかけを生み、それが権威ある機関による標準化につながり、医師による合理的な信頼を経て全国的な実施へと進み、行政による実施能力の最大化へと収束していく。こうした巨大な正のフィードバックが成立する可能性がある。ここには秘密会議も巨大な陰謀も必要ない。全員がそれぞれ合理的に行動するだけでよい。だからこそ怖いのである。

 そして、この議論は反対側にも同じように適用しなければならない。政府や製薬企業を批判する研究者、ジャーナリスト、インフルエンサーにも、名声、購読料、政治的影響力などのインセンティブが存在し得る。「権威が言ったから正しい」も間違いなら、「権威に逆らっているから正しい」も同じように間違いである。

 最後に残るのは極めて古典的な問いだ。分母は何か。比較群は適切か。観察期間は十分か。交絡は処理されているか。そのデータから本当にその結論まで言えるのか。そしてもう一つ――「この結論が間違っているとしたら、どこが最も壊れやすいのか」。自分が支持したい結論についても、この問いを向けなければならない。

 COVID-19から私が学んだ最大のことは、医学を信用してはいけないということではない。むしろ逆である。現代医学は専門分業なしには成立しない。権威も必要である。規制当局も学会も製薬企業も必要である。だからこそ、それらが間違えることを前提に制度を設計しなければならない。企業に善意を求めるのではなく、企業が利益を最大化しても患者の利益が損なわれにくい制度を作る。行政官が常に正しいことを期待するのではなく、間違った政策を早期に検出して修正できる仕組みを作る。すべての医師に薬剤疫学の専門家になることを求めるのではなく、少数の医師が「この分母はおかしい」と声を上げたとき、それを排除せず、独立した別チームがデータを再解析する。そして異論が正しければ、昨日までの方針を変更する。それが本来の科学である。

 行政についても同じだ。政策は本来、設計・実施・観察・検証・修正という制御系でなければならない。ところが現実には、設計・実施の後は担当者の異動によって断ち切られ、新しい担当者へと引き継がれていくだけになりやすい。失敗した人間を罰することより、失敗から学習する組織を作る方がはるかに重要なのに、そのフィードバック回路は驚くほど弱い。

 結局、COVID-19が私に見せたものは、ワクチンという一つの医薬品の問題を超えていた。それは、現代社会が専門知をどのように作り、誰がそれを検証し、誰がそれを信頼し、そして巨大な組織をどう動かしているのかという問題だった。

 最も危険なのは悪人ではないのかもしれない。悪人なら警戒できる。本当に怖いのは、企業も、行政官も、学会も、病院も、医師も、それぞれ自分の場所で合理的に行動しているのに、全体として間違った方向へ走り始めることである。

 だから必要なのは、善人を増やすことだけではない。間違いを発見できる仕組みを作ること。異論が上流へ戻れる回路を作ること。利益相反を可視化すること。原データを独立して検証できるようにすること。そして権威が間違ったとき、権威自身が方向転換できるようにすること。

 COVID-19を経験して私が最も強く感じるようになったのは、これである。権威をなくす必要はない。市場をなくす必要もない。専門分業をなくすこともできない。しかし、権威への信頼を検証の代用品にしてはいけない。そして何より、権威が間違ったときにそれを訂正する回路は、権威そのものより強くなければならない。それこそが、次の危機までに医学と行政が学ばなければならないことなのだと思う。







 と投稿したところ、以前から購読してきた Tom JeffersonとCarl Heneghan が、
16日18時に、サブスクに投稿してました。私は、エビデンス業界の師として彼らのウイットとアイロニーの混じった投稿で学んできたわけですが、至って常識的な内容ながら、上記をもっとパンチを効かせた文調で書いていました。

We need a Dam to stop the River of Crocodile Tears Or next time we might drown TOM JEFFERSON AND CARL HENEGHAN AUG 16

後になって流される偽善的な涙をせき止める仕組みが必要だ。さもなければ、次の危機ではその洪水に我々自身が呑み込まれる


政府 → 専門家 → モデル → メディア → 世論

という情報伝達系の中に、どこにも十分な負のフィードバックが働かなかったのではないか、という問題がある。

 モデルが予測ではなく「未来の現実」のように扱われる。PCR陽性が感染・感染性・疾病と十分区別されない。巨額の公金支出が緊急性を理由に通常のチェックから外れる。学校閉鎖や子供へのマスクのように害益評価を要する政策まで、「何もしないより何かする方が安全」という方向に流れる。

 そのとき、本来なら、新聞・大学・議会・医学界がそれぞれ別方向からブレーキを踏むはずだった。

 ところがJeffersonらの観察では、ブレーキ役まで同じ方向を向いてしまった


 危機の最中に不都合な質問をした研究者が職業的コストを払わされるのなら、若い研究者は何を学習するのか。


 科学にとって必要なのは「正しい専門家」だけではない。

 間違っているかもしれない専門家に対して、反証を試みる人間が生存できる仕組みが必要だ。

 異論の内容が最終的に間違っていたとしても、その異論を提示したこと自体でキャリア上の不利益を受けるなら、次の危機では若い研究者は合理的に沈黙する。

 
 すると科学共同体には一種の選択圧が生じる。


「多数派に従った研究者は、間違っていても集団責任になる。一方、少数派になれば、正しかったとしても現在進行形では個人責任を負わされる」

この報酬構造なら、沈黙と同調が合理的戦略になる

Jefferson/Heneghan 

Keep your head down, wait until the crisis is over...

皮肉が効き過ぎ。

17. 抱かれなくても、捨てられないこと――「イヴの贈り物」と蟻の一穴  令和8年8月14日

 昨夜、舘ひろし主演の『終わった人』と『イヴの贈り物』を続けて見た。

 舘ひろしも歳を取ったものだと思う。もちろん容貌が老けたという意味ではない。若い頃の彼は、何が起きても動じない男を演じていた。危険が迫れば前に出る。女に惚れられても狼狽しない。自分が何者であるかについて疑問を持つ必要などない男だった。

 ところが還暦を過ぎた頃からだろうか。動揺し、困惑し、自分の力の及ばないものを前にして立ち尽くす、どこか情けない親父を演じられるようになった。

 『終わった人』では、定年によって社会的な自分を失った男の狼狽を演じている。そして『イブの贈り物』では、もっと深刻な意味で、自分には人を守る力があると思っていた男が、実は一人の若い女性の孤独を何も理解していなかったことを、取り返しのつかない形で思い知らされる。

 この映画を見ながら、私は自分がこれまで辿ってきた精神医療の道筋を思い出していた。

 若い頃、私はR・D・レインを読んだ。そこからダブルバインドという考え方を知り、ポール・ワツラウィックらのコミュニケーション論へ進んだ。さらに斎藤学さんに出会い、アメリカのソーシャルワーカーたちが掘り起こしてきたアダルト・チルドレン、ACという概念を知った。そしてジュディス・ハーマンを読み、トラウマが単なる過去の出来事ではなく、人間の自己感覚や他者への信頼、さらには世界そのものの見え方を変えてしまうことを知った。

 同時に、私自身の家族、とりわけ母方から流れ込んでくる病理にも気づくようになった。

 そういう目を持って診療をしていると、不思議なことに、そういう患者を拾ってしまう。

 最初に強く印象に残ったのは、小児期や思春期にレイプされた女性たちだった。

 性暴力を受けるということは、単に恐ろしい出来事を経験することではない。その後の人間関係を支える信頼構造が破壊される。まして、被害を訴えたときに親が守ってくれなかったり、理解してくれなかったりすれば、加害者だけではなく両親まで「信用してはならない人間」に分類される。

世界は危険な場所になる。

 しかし長く付き合い、彼女たちが少しずつ自分自身を取り戻していくのを見ていると、興味深い変化が起こる。

 かつて絶対に信用できない存在だった父や母が、いつの間にか普通の父親、普通の母親に戻っていくのである。親を許したという言い方では少し違う。親が世界全体を代表しなくなるのだ。「あのとき、この人は私を守ってくれなかった。それは事実だ。しかし、この人にも弱さや愚かさや限界があった」

 そういう、ごく平凡な人間として親を見ることができるようになる。

 ところが、もっと幼い頃から家庭そのものが戦場だった子どもたちは、事情が違う。

 父親が母親を殴る。両親が毎日のように激しく争う。子どもは母親の表情を読み、父親の足音を聞き分け、今日は危ないか、今夜は何も起きないかを察知しながら生きる。

 そういう子には、戻るべき「普通の世界」がそもそもない。

 普通の家庭であれば、子どもはわざわざ教えられなくても、「家は安全な場所である」「親は自分を守る」「愛することと殴ることは別である」「自分が警戒していなくても明日はやって来る」と学ぶ。

 ところが、その前提が最初から存在しない。

 代わりに、愛する人間ほど危険である。親密になれば傷つけられる。安心したときが一番危ない。自分が注意を怠れば母親が殴られる。相手の機嫌を読まなければ生き残れない。そういう世界観を身につける。

 これを簡単に「認知の歪み」と呼んではいけないと思う。

 少なくとも彼らが子どもだった環境では、その認識はかなり正確だったからである。

 問題は、子ども時代を生き延びるためには正しかった世界モデルが、その家を離れた後にも更新されないことにある。

 では、われわれ治療者に何ができるのか。

 長いこと患者たちを見ながら、結局私は「蟻の一穴」に徹するしかないのだと思うようになった。それは、舘ひろしみたいに、こっちも高齢化し、運動不足で、クタクタに疲れ切っている場合もあろうが、それでも「蟻の一穴」を細々と続けることだろう。センサーを効かせている積もりだが、無念ながら取り零すこともあろう。

 「世の中にはいい人もいる」、「人を信用してもいい」、「あなたには価値がある」そんな正論をいくら言っても役には立たない。

 そんなことを言えば、患者は「この先生は世の中を知らない」と思うだけである。

 必要なのは説得ではない。一つの反証である。

 この人に弱みを見せたのに攻撃されなかった。怒らせたと思ったのに関係が切れなかった。黙っていても追及されなかった。失敗しても見捨てられなかった。こちらがこの人の機嫌を取らなくても、この人は壊れなかった。

 そんな小さな経験が何年も積み重なった先に、「ひょっとすると、自分が知っていた世界だけが世界ではないのかもしれない」という小さな穴が開く。

 その穴から別の世界が見え始める。

 『イブの贈り物』を見ていて、私はそのことを一層痛切に感じた。

 貫地谷しほりが演じる娘の父親はアルコール依存症で、借金を残して失踪する。残された母と娘のところには街金の取り立てが来る。娘はひたすら母親を守ろうとする。

 本来なら、自分が誰かに守られる年頃の娘である。しかし彼女は守る側に回ってしまっている。そんな彼女が舘ひろし演じる年長の男と出会う。そして彼の中に、おそらく生まれて初めて安心できる父性を見る。

 やがて彼女は彼に身体を差し出そうとする。舘は抱かない。「それは恋人に。大事にしなさい」と言う。正しい。どこから見ても正論である。

 年長の男が、傷ついた若い女性の依存につけ込んで身体を求めるのではなく、彼女の尊厳を守ろうとしたのだから、倫理的にはこれ以上ないほど正しい。

 ところが、その正しさが彼女を救わない。彼女は背を向ける。貫地谷しほりの、このときの演技がすごい。泣き叫ぶわけでもない。「私を捨てるの」と詰め寄るわけでもない。ただ、正論を言われて、背を向ける。その背中に途方もない孤独がある。

 彼女が差し出そうとしたものは、処女である自分の身体だけではなかったのだと思う。

「あなたにとって特別な人間になりたい」

「あなたの側に置いてほしい」

「私を守ってほしい」

「ここから連れ出してほしい」

 そういう言葉にならない救難信号を、彼女は自分の身体に翻訳して差し出したのではなかったか。

 舘の側では、「大切だから抱かない」のである。

 しかし彼女の側には、「大切ではないから抱かれない」と届いてしまった。恐ろしいほどのすれ違いである。

 ワツラウィック流に言えば、内容の水準では舘は「あなたを大切にしなさい」と伝えている。しかし関係の水準では、彼女には「私はあなたを選ばない」と伝わってしまう。

 そして彼女は背を向ける。

 あの瞬間、彼女は、

「やはり安心してはいけなかった」

「安全な場所など求めてはいけなかった」

「結局、自分は自分で守るしかない」

と打ちのめされたように私には見えた。

 もちろん舘はそんなことを言ってはいない。むしろ正反対である。しかし、人間に伝わるのは、発信者が伝えようとした意味とは限らない。その人がそれまで生きてきた世界によって、言葉の意味は変換される。

 そして映画は、さらに残酷な方向へ進む。

 舘にも自分の人生がある。妻に彼女とのデートを見られ、妻は実家に帰ってしまう。会社では自分自身が生き残るために必死である。そしてインドへ半年間赴任する。

 彼は彼女を捨てようとしたわけではない。ただ、彼自身のキャパシティがいっぱいだった。だから、彼女がどれほどのっぴきならないところまで追い詰められているのかに気づく余裕がなかった。

 彼には半年後がある。インドへ行き、仕事をして、帰ってくれば、また人生は続く。しかし断崖絶壁に立っている彼女には、その半年がない。

 ここが痛い。

 連絡さえ取り合っていれば、と考えてしまう。「元気か」「ちゃんと飯を食っているか」「帰ったらまた会おう」それだけでもよかったのではないか。

 もちろん、一本の電話が自殺を防いだなどと簡単に言うことはできない。

 しかし、少なくとも、

 「私はまだこの人の世界の中に存在している」という一本の細い糸にはなったかもしれない。その糸が切れている間に、彼女はヤクザに強いられてソープに落ち、間もなく自殺する。

 ここも残酷である。

 彼女が舘に差し出そうとした身体を、舘は「大事にしなさい」と言って受け取らなかった。

 その身体が今度は、彼女の意思とは無関係に商品として他人に奪われていく。

 舘が守ろうとしたものを、現実の世界が踏みにじってしまう。

 半年後、帰国した舘は彼女の死を知る。

 そのとき彼が突きつけられたのは、チンピラたちの悪だけではなかったと思う。

 自分自身の鈍感さである。

 自分のキャパシティの小ささである。

 そして何より、

 「あの娘がどれほど孤独だったのか、俺は何も分かっていなかった」という事実だったのではないか。

 彼は銃を持ってチンピラのところへ行き、射殺する。

 私はあの銃を見て、彼は以前から、いつか彼女を守らなければならないときのために準備していたのではないかと思った。彼女に暴力的な危険が迫ったなら、自分が出ていく。必要なら命を張る。そういう父性は、彼の中に確かにあった。そして実際、最後には人を殺すほどのことまでやる。

 だが、遅すぎた。

 本当に彼女を守るために必要だったのは、銃ではなかった。

 彼女が背を向けたとき、

「待て。抱かないというのは、お前が要らないということではない」と伝えることだったのかもしれない。

 あるいはインドから一本、電話をすることだったのかもしれない。

 巨大な英雄的行為ではない。関係が今日も続いていることを知らせる、小さな行為である。

 人を救うためには、何か途方もなく大きなことをしなければならないように思う。

 しかし、幼い頃から世界を危険な場所として生きてきた人に必要なのは、案外そんなものではない。

 「この人は昨日もいた。そして今日もいる」

 「私は何も差し出さなくても、この人との関係はなくならない」

 「私はこの人の役に立たなくても、ここにいていい」

 そんな小さな経験が、一つの反証になる。

 それが蟻の一穴になる。

 舘の男は、最後には銃を撃つことができた。しかし彼女が生きているときに必要だったのは、銃を撃つ覚悟ではなかった。

 彼女の孤独を想像することだった。そして、それができなかった自分に気づいたときには、もう彼女はいない。

 だから最後の怒りは、チンピラだけに向けられたものではないように見える。「あのとき俺は何を見ていたのだ」という、自分自身への怒りでもある。

 若い頃の舘ひろしなら、危機に颯爽と現れ、悪党を倒して女を救っただろう。しかし歳を取った舘ひろしは違う。善意もある。父性もある。守る力もある。それでも、一人の人間の孤独を理解することには間に合わない。

 その、どうしようもなく情けない男を演じられるようになった。

 私は長いこと患者を診ながら、治療者にできることは蟻の一穴になることくらいではないかと思うようになった。

 患者の世界観を説得して変えることはできない。

 世界は安全だと保証することもできない。

 その人の人生を背負うこともできない。

 ただ、

 「あなたがこれまで知っていた人間関係とは違う関係が、少なくとも一つは存在する」という事実を、関係そのものによって示し続けることはできる。

 『イヴの贈り物』の彼女にも、その一つが生まれかけていた。

 だからこそ、間に合わなかったことが、これほど切ない。

 彼女が求めていたのは、男に抱かれることではなかったのだろう。

 抱かれなくても、捨てられないことだった。

 そのことを舘の男が理解したのは、あまりにも遅かった。

16. 共に時間を生きる精神医療── ヤスパース、ミンコフスキー、ビンスワンガー、シュッツ、ブーバーから考える臨床姿勢  令和8年8月5日

了解から始まる精神療法――ヤスパース

 精神医学は、診断学である以前に人間理解の学である。

 カール・ヤスパースは『精神病理学総論』で、「説明(Erklären)」と「了解(Verstehen)」を区別した。説明とは症状の因果関係を明らかにする営みであり、遺伝、神経伝達物質、脳機能、発達特性、環境要因などを用いて「なぜこの症状が生じたのか」を客観的に説明する。だが精神医学はそこで終わらない。精神科医は同時に、「この人はどのような人生を生き、この体験に至ったのか」を了解しようとする。

 診断は、その了解を助けるための仮説にすぎない。診断が患者を十分に説明できなくなったとき、修正されるべきは患者ではなく診断の側である。

 精神療法とは、この了解を時間の中で深めていく営みである。初診で見えるのは症状にすぎない。数か月かけて生活史が見え始め、数年を共に過ごして初めて、その人の人格や世界の成り立ちが見えてくる。人格は短時間で理解できるものではない。

 精神科診療において、診断は必要である。症状を把握し、危険性を評価し、治療方針を立てるためには、疾患概念も薬物療法も欠かせない。しかし診断とは、その人を理解するための仮説であって、その人そのものではない。

 患者を診断名のもとに把握した瞬間、臨床家は一定の見通しを得る。しかし同時に、その人の固有性を見失う危険を負う。精神療法的な臨床姿勢とは、この矛盾を引き受けることから始まる。対象として観察しながら、対象に還元しないことである。

 この姿勢を考えるうえで、ウジェーヌ・ミンコフスキー、ルートヴィヒ・ビンスワンガー、アルフレート・シュッツ、マルティン・ブーバーの思想は、それぞれ異なる方向から重要な視点を与えてくれる。

 尤も、ヤスパースは了解には限界があることも強調していた。他者の主観は究極的には完全に把握されるものではなく、了解とは「理解し尽くすこと」ではなく、「理解しようと努め続ける姿勢」である。この了解の限界を引き受けながら、なお患者の生きられた世界へ近づこうとしたところに、後のミンコフスキーやビンスワンガーの現存在分析が展開されていく。

症状の背後にある生の様式――ミンコフスキー

 ミンコフスキーは精神病理を個々の症状の寄せ集めとして捉えなかった。妄想、幻覚、引きこもりといった現象の背後に、それらを一つの全体として成立させている根本的な障害――trouble générateur――を見ようとした。統合失調症について彼が述べた「現実との生きられた接触の喪失」は、その代表的な概念である。

 ここでいう現実との接触とは、事実を正しく認識する能力だけを指すのではない。人が世界の流れに自然に参加し、他者の身振りや場の雰囲気を感じ取り、未来へ向かって生きていく、言語化以前の生命的な結びつきを指す。

 この視点に立つと、臨床家の問いは変わる。「どの症状があるか」ではなく、「この人はどのような世界を生きているのか」「世界や他者との自然な接触は、どこで失われたのか」「表面に現れた症状を生み出している、より根本的な生の変容は何か」と問うようになる。

 尤も、ミンコフスキーの概念をあらゆる対人困難へ拡張すれば、統合失調症の中核病理という概念そのものが曖昧になる。ここでの「他者との生きられた接触」という表現は、彼の原語をそのまま引用したものではなく、その思想を臨床一般へ展開したものと理解されたい。

 ミンコフスキーから学ぶ臨床姿勢とは、症状を否定することではなく、症状を手掛かりにその人固有の生の様式へ近づこうとすることである。

ミンコフスキーの関心は、とりわけ人間が世界と生命的なリズムを保ちながら生きる時間性や現実接触の変容に向けられていた。一方、次に述べるビンスワンガーは、人間がどのような世界構造の中で存在しているか、その存在様式全体を理解しようと試みる。両者は近接した立場にありながら、焦点の置き方には違いがある。

患者が住む世界を理解する――ビンスワンガー

 ビンスワンガーは、人間を内面に閉じた精神装置としてではなく、初めから世界の中にあり他者と共に存在するものとして捉えた。精神疾患もまた、心の内部にある異常だけでなく、時間、空間、身体、他者、自己との関係を含む世界構成全体の変容として理解される。彼の現存在分析は、患者の主観的な生活世界を理解しようとする精神医学的企てであった。

 この立場に立てば、臨床家が患者を外部から説明するだけでは足りない。患者の言葉や行動は、患者の生きる世界の内部でどのような意味を持つのか。その世界には、どのような可能性が開かれ、どのような可能性が閉ざされているのか――それを理解しようとする。

 ここで重要なのは、理解することと同意することを区別することである。患者の妄想内容を事実として承認する必要はない。しかしその確信が患者の世界の中でどのように成立し、何を守り、何を失わせているのかは理解しなければならない。

 ビンスワンガー的な臨床において、治療とは患者を「正常な世界」へ強制的に連れ戻すことではない。患者の世界に同行し、閉ざされていた可能性が再び開かれる条件を探すことである。

 診断が変わるのは、単に症状の数が変化したからではない。その人の世界が以前より深く見えてきて、当初の診断では全体を説明できなくなったからである。診断の修正は臨床の失敗ではなく、理解の深化によって生じることがある。

共に現在を生きる――シュッツ

 シュッツは精神科医ではないが、シュッツが探究した中心課題は、人と人がどのように共通の世界を成立させるのかという「相互主観性」であった。互いを単なる対象ではなく、意味を生み出す主体として経験するとき、「われわれ関係」が成立する。「共に老いる」という有名な概念も、この相互主観的な関係を時間の側面から記述したものと理解できる。社会的世界の成立を論じた現象学的社会学者である。彼の概念をそのまま治療論として扱うことはできない。しかし彼の「われわれ関係」と「共に老いる」という考えは、長期臨床の時間性を考えるうえで大きな示唆を与える。

 シュッツのいう「共に老いる」とは、第一義的には何十年も一緒に過ごすという意味ではない。対面する二人が、互いの表情、声、身体の動きに触れながら、それぞれの内的時間を同時に進んでいくことである。相手の経験が形成される過程に立ち会い、相手もまた自分の応答が生まれる過程に立ち会う。この「生き生きした現在」の共有によって、「われわれ関係」が成立する。

 長期臨床は、この瞬間的な「共に老いる」が反復され、共有された歴史へ厚みを増していく営みだと考えられる。患者だけが時間を経過するのではない。治療者も同じ時間の中で変化する。患者についての理解を修正し、予想を裏切られ、新しい側面を知る。治療関係には「以前はこうだった」「あの時にはこう語っていた」という共同の記憶が形成されていく。

 つまり長期診療とは、治療者が患者の人生を外から観察し続けることではない。患者の変化を目撃する一方で、自らの理解も変えられていくことである。

 ただ長く通院させれば「共に老いる」ことになるわけではない。診察が固定した類型の確認だけになれば、時間は共有されても理解は更新されない。シュッツ的な臨床姿勢とは、毎回の出会いによって、それまで抱いていた患者像を修正可能なものとして開いておくことである。

「それ」ではなく「汝」として出会う――ブーバー

 ブーバーは人間の根本的な関係を「我―それ」と「我―汝」に区別した。「我―それ」において、相手は観察され、分類され、予測され、何らかの目的のために扱われる対象となる。「我―汝」において、相手は概念によって尽くすことのできない、かけがえのない存在として現れる。ブーバーにとって「我」もまた単独で完成しているのではなく、どのような関係に立つかによって成立の仕方が変わる。

 精神医療は「我―それ」を避けることができない。診断、検査、処方、予後予測、リスク評価には、患者を対象化する働きが必要である。「我―それ」は非倫理的な関係なのではなく、人間が世界を認識し医療を行うために不可欠な関係である。

 問題は、「我―それ」だけで臨床が完結してしまうことにある。患者が診断名、症状、問題行動、処方内容だけになれば、臨床家は患者について多くを知りながら、その人には出会っていないという事態が起こる。

 「我―汝」の姿勢とは、専門的判断を放棄することでも、患者と無境界に親密になることでもない。診断と境界を保持しながら、目の前の人が概念を超える存在であることを忘れないことである。

 その人の特異さ、面白さ、矛盾、才能、弱さ、これまで生きてきたドラマに関心を向ける。患者を「治すべき対象」としてのみ見るのではなく、「この人はこれから何者になっていくのか」と関心を持ち続ける。そこに「我―汝」の臨床的意味がある。

 この「我―汝」の関係は患者だけを変えるものではない。ブーバーによれば、「我」そのものもまた、どのような関係に立つかによって成立する。臨床家も患者との出会いを通して、自らの理解の限界を知り、人間について学び直し、変えられていく存在なのである。

精神療法とは何か

 ここまで見てきた了解、生の様式、生きられた世界、共有された時間、そして「汝」としての出会い――これらを重ねると、精神科臨床の姿が一つ立ち上がってくる。症状を観察しながら症状に還元せず、その人が生きる世界に近づき、同じ時間を共有し、理解を更新されながら、一人の「汝」として出会い続ける営みである。

 治療者が患者を一方的に変えるのではない。治療者と患者が同じ時間を生きるなかで、それまで閉ざされていた発達や可能性が動き始めるための条件がつくられていく。

 この立場では、時間がかかることは治療の失敗ではない。人格や生活世界は、短時間の観察で全貌を現すものではないからである。患者の時間を無視して治療者側の予定表に回復を合わせようとすれば、患者は再び評価され、急かされ、対象化されることになる。

 とはいえ、時間をかけること自体を美化してもならない。長期化が治療者の自己満足や依存関係の固定になっていないか、患者の自律や外の世界への展開を妨げていないかは、常に検討されなければならない。「共に老いる」とは、閉じた二者関係の中に留まり続けることではなく、患者が治療関係を足場として、治療者のいない世界へも踏み出せるようになることである。

 精神療法とは、患者を作り替える技術というより、患者が自らの発達を再開できる関係を提供する営みである。その関係の中で、患者は「ここにいてもよい」「他者は必ずしも自分を侵害しない」「自分にはまだ別の生き方があり得る」と経験していく。治療者もまた、患者との時間を通じて診断を修正し、自らの理解の限界を知り、人間について学び直していく。

 「共に老いる」とは、単に長く診療することではない。互いに同じ時間の中に身を置き、その人を理解したつもりになることなく、変化していく一人の人間として出会い直し続けることである。

 ヤスパース、ミンコフスキー、ビンスワンガー、シュッツ、ブーバーの思想が臨床に教えるのは、技法以前のこの姿勢にほかならない。そして、その姿勢は「患者を理解し尽くすこと」を目標とするものではない。むしろ、理解は常に暫定的であり、目の前の他者は決して診断や理論に還元し尽くせない存在であることを忘れず、理解を修正し続けることである。精神療法とは、その終わることのない理解への営みを、患者と共に時間の中で歩み続ける実践なのである。

15. 『OBSESSION』──レヴィナスから読む、愛と所有の倫理 令和8年8月2日

 ホラー大好きの女性から是非と言われた『OBSESSION』を見終えて、私が改めて考えたのは、片思いに留まる覚悟の崇高さだった。


 報われない恋を受け入れることは、消極的な諦めではない。それは、自分の欲望よりも相手の自由を優先するという倫理的決断である。その覚悟は、一度で完成するものではない。相手が恋人と肩を並べて歩く姿、自分ではない誰かと笑い合う姿を見るたびに、「それでも相手が幸せなら、それでいい」と、自らの欲望を引き受け直さなければならない。

 その意味で、片思いとは忍耐であり、自分の欲望ではなく、相手の自由に応答し続ける責任を引き受けることだ。

 しかし、その忍耐は敗北ではない。相手の幸福を、自分の幸福以上に願うことのできる成熟である。レヴィナスなら、この関係を「他者の他者性を侵さないこと」と表現するだろう。人は容易に、愛する相手を「自分の世界」の中へ回収しようとする。理解したい。所有したい。自分を選んでほしい。

 だが、その瞬間、相手は「他者」ではなく、「私の欲望を満たす対象」へと変質する。レヴィナスは、それこそが暴力の始まりだと考えた。他者とは、本来決して私に還元されない存在である。私の理解を超え、私の期待を超え、私の所有を拒み続ける存在。その「届かなさ」そのものを尊重することが倫理なのである。

 ベアには、その倫理がまだない。彼はニッキーに憧れ、恋をする。だが、それに続いて訪れたのは、「彼女を自分のものにしたい」という欲望だった。Wish Willowに願いを託した瞬間、彼はニッキーを「他者」として見ることをやめた。彼女は自由な人格ではなく、自分を愛するように書き換えられる対象になった。それは恋愛ではない。他者の他者性を消去することである。

 レヴィナスは、他者の顔(visage)について語った。「顔」とは、目鼻立ちではない。私に向かって「殺すな」「支配するな」と沈黙のうちに命じてくる、その存在そのものである。

 他者の顔は、私の欲望に対して「ここまでだ」と限界を与える。だから倫理は、契約や法律より先に始まる。目の前の他者が、私の自由に歯止めをかけるのである。しかしベアは、その顔を見なくなった。彼が見ていたのは、「自分を愛してくれるニッキー」という幻想だった。Wish Willowは、その幻想を現実にしてしまう。

 ニッキーはベアだけを見つめる。彼女の世界は、彼だけで満たされる。友人も、仕事も、自分自身も失われ、「ベアを愛する」という一つの方向性だけが残る。それは究極の愛ではない。究極の孤独である。他者性を失った瞬間、人は「誰か」ではなく、「私の欲望の延長」になってしまう。

 だからベアは、彼女を恐れる。怪物だから恐ろしいのではない。自分の願いが完成した姿だから恐ろしいのである。

 彼はようやく、自分が欲しかったものが「ニッキー」ではなく、「自分を肯定してくれる存在」だったことに気づく。この瞬間、『OBSESSION』はホラー映画ではなく、倫理の悲劇になる。

 ニッキーを演じたインデ・ナヴァレットが素晴らしいのも、まさにこの悲劇性を体現しているからだ。彼女は突然狂人になるのではない。怪物化していく過程で、ふと正気へ戻る瞬間がある。何が起きているのか理解できず、未知の力に圧倒され、自分自身が失われていく恐怖と、それでも止められない衝動との間で揺れ続ける。彼女は怪物ではない。他者性を奪われていく人間なのである。だから観客は恐怖より先に悲しみを覚える。

 こうして、この映画は最後に一つの問いを残す。もし本当に愛しているなら、相手が自分を選ばなくても、その幸福を願えるだろうか。

 レヴィナスなら、おそらくこう答えるだろう。愛とは、相手を理解し尽くすことでも、所有することでもない。相手が永遠に自分のものにならない存在であることを受け入れ、それでもなお、その人の幸福を願い続ける責任を引き受けることである。

 だから私は、この映画を見終えて、片思いに留まる覚悟について考えた。相手が恋人と幸せに暮らしていても。たとえ、その幸せの中に自分がいなくても。

 さらに言えば、たとえ相手が怪物へと変わってしまったとしても、その存在そのものへの慈しみを失わないこと。さらに言えば、たとえ相手が怪物へと変わってしまったとしても、その奥になお残る「他者」を見失わないこと。怪物ではなく、他者性を奪われた一人の人間として、その存在への慈しみを失わないこと。そこには所有はない。

 あるのは、「あなたは私のものではない」という事実を最後まで守り抜こうとする倫理だけである。

 『OBSESSION』は、執着の映画ではない。他者を自分の欲望へ回収しようとする人間の暴力と、それに対する倫理の映画である。片思いに留まる覚悟とは、自分の欲望を抑え込むことではない。他者を最後まで他者として愛すること。レヴィナスが語った倫理とは、まさにその一点に尽きるように思われる。ベアが最後に恐れたのは、怪物になったニッキーではない。彼女の中から「他者」が消え、自分しか残っていないことを恐れたのである。

 愛とは、他者を自分の世界へ迎え入れることではない。むしろ、決して自分のものにならない存在として、その人を最後まで尊重し続けることである。だから片思いに留まる覚悟とは、恋愛の失敗ではない。

 他者を他者のまま愛し続けようとする倫理の始まりなのである

14. 映画『開戦前夜』 令和8年8月1日

 昨夜、話題の『開戦前夜』を観てきたので紹介したい。

 石井裕也監督の『開戦前夜』は、猪瀬直樹『昭和16年夏の敗戦』を原案とし、NHKスペシャルを再構成・追加撮影した作品である。実在した「総力戦研究所」を舞台に、「日本必敗」という結論に達しながら、それでも開戦は回避されなかった歴史の過程を描く。

 総力戦研究所の若きエリートたちは、日本の国力、工業力、資源、海運能力などを冷静に分析し、「長期戦になれば日本は敗れる」「ドイツも三年以内に決着する」と予測した。

 本作に派手な戦闘シーンはない。あるのは会議、議論、沈黙、そして人物たちの表情である。その静けさが、作品全体に重苦しい緊張感を漂わせる。

 研究所の若者たちだけではない。彼らを統括する将軍も、副官も、誰一人として積極的に戦争を望んではいない。それでも、誰も流れを止められず、誰も責任を引き受けず、誰も時代の奔流に逆らえない。そして、日本は開戦へと歩みを進めていく。

 石井監督は、「昭和16年夏の空気は現代にも存在する」と語っている。つまり本作は、「なぜ合理性は敗れるのか」を問う映画なのである。

 「空気」の前では、証拠も合理的推論も容易に駆逐される。現代の観客はそこに、コロナ感染症政策、ワクチン政策、SNSによる同調圧力、原発、戦争、財政、組織不祥事など、それぞれの経験や問題意識を重ね合わせるだろう。

 しかし、「空気」という言葉は便利すぎる。

 当時も今も、情報を選別し、不都合な前提を排除し、決定期限を設け、異論者に組織的な代償を負わせたのは、具体的な人物と組織である。「空気」は、その責任の所在を曖昧にする言葉でもある。そして、その「空気」を補強する装置や象徴は、時代ごとに姿を変えながら存在してきた。

 「皆が空気に呑まれた」と総括してしまえば、加害と責任の濃淡は均される。軍部も政府も新聞も国民も、同じ程度に流されたわけではない。情報へのアクセス、決定権、異論を封じる力は、それぞれ決定的に異なっていた。

 本作が優れているのは、その複雑さを最後まで単純化しないことである。

 東条英機は、一枚岩の好戦家としてではなく、開戦責任への恐怖、天皇への忠誠、陸軍内部からの圧力、政治家としての未熟さの狭間で揺れ続ける人物として描かれる。周囲の軍人や政治家にも、それぞれ異なる論理と思惑が与えられている。

 天皇もまた、単なる平和主義者ではない。統治権威として政治的に利用される存在であると同時に、その構造の内部に位置する存在として描かれる。新聞や世論も、軍部に一方的に操作される受動的な存在ではなく、自ら好戦的空気を増幅する主体として描かれている。

 東条が苦悩し動揺したことは、彼の責任を軽くするものではない。しかし、彼だけを悪魔化しても開戦の構造は理解できない。東条は決定者であると同時に、陸軍、統帥、天皇制、官僚制、世論が交錯する結節点でもあった。彼の責任とは、「自由な独裁者」の責任ではなく、巨大な構造の中で最大級の権限を持った者の責任なのである。この難しい均衡を、石井監督は見事に描き切っている。

 国民の好戦性を描くことも、本作の重要な視点である。戦争は軍部が無関心な国民へ一方的に押しつけたものではなかった。日中戦争以来の戦勝報道、排外感情、経済制裁への反発、新聞の煽動によって、対米強硬論には確かな大衆的基盤が形成されていた。

 この場面を見ながら、私は近年の「マスク警察」、「利他的行動を」、「思いやりワクチン」といった社会現象を思い出した。もちろん歴史は同じ形では繰り返さない。しかし、「空気」が異論を封じ、人々が自ら同調を強めていく心理の構造には、時代を超えた共通性がある。

 石井監督は、歴史の「結果」を断罪するのではなく、その結果へ至る意思決定の過程を丹念に積み重ねている。その姿勢こそ、本作最大の魅力である。

 そして、作品全体に陰鬱な空気を漂わせるのが憲兵の存在である。暗い画面構成はジョージ・オーウェルの『1984』を想起させる。主人公が尋問中に左腕を蹴り折られる場面は、その象徴である。

 暴力装置の真の力は、日常的に暴力を振るうことではない。暴力を予期させ、人々に自己検閲を促し、自ら沈黙させることにある。戦時日本の特高・憲兵、ナチス・ドイツのゲシュタポの存在は、人々に逮捕状のない拘束、拷問、長期拘禁、家族への波及、密告、裁判を経ない処分への恐怖を植え付けた。その恐怖は、人々の口を閉ざさせるには十分だったのである。

 『開戦前夜』は、反戦映画ではない。意思決定の病理を描いた映画である。だからこそ、この作品は1941年だけを描いているのではない。合理性が「空気」に敗れ、責任が「空気」という言葉に溶けていく限り、この映画の舞台はいつでも「開戦前夜」なのである。




 開戦前、もうひとつ『秋丸機関』という研究班が存在した。正式名称は陸軍省戦争経済研究班で、1939年に陸軍省経理局内に設けられた。秋丸次朗中佐が実務上率いたため「秋丸機関」と呼ばれた。研究の中心は、① 各国はどれだけ戦争を継続できるか、② 経済封鎖や資源不足によって、どこに弱点が生じるか、という戦争経済・経済抗戦力の分析であった。したがって、総力戦研究所が「模擬政府」であったのに対し、秋丸機関は陸軍内部の専門調査班、あるいは経済情報分析機関であった。秋丸機関は、危険性を警告する分析機関であると同時に、どうすれば経済戦を戦えるかを探す陸軍機関でもあり、戦争回避運動をしていたのではなく、戦争遂行可能性を専門的に査定していた。

 明日は、鑑賞を勧められた『OBSESSION』だ。

13. 統合失調症のプロセス 令和8年7月30日

 我々新人が入局して最初に読むよう命じられたのは、クルト・コッレの精神医学教科書だった。すでに絶版で、上級医が所蔵していたコピー本を、さらにコピーして使った。次いでクルト・シュナイダーの『臨床精神病理学』、カール・ヤスパースの『精神病理学総論』全三巻を求めて神田まで足を運んだ。西丸四方や諏訪望の教科書も手元にはあったが、日本の精神病理学には、臨床経験から離れて思弁に流れるものと、逆に限られた病像から過度に一般化し断定するものとが目立った。

 ドイツ、スイスの精神病理学を実際の統合失調症患者にあててみると、病気は固定された症状の寄せ集めではなく、時間の中で相を変えながら進む一つの過程として見えてくる。

 統合失調症の初期、コンラートのいうトレマの時期には、まだ明確な幻覚や妄想はできあがっていない。患者はただ「何かが変だ」「何かが起こりそうだ」「周囲が以前のように自然でない」と訴える。世界はまだ日常の形を保っているが、その背後に不穏な緊張が満ち、何でもない音や視線や物の配置がやけに前景に出てくる。ブランケンブルクの言う自然な自明性が、ここで揺らぎ始める。フーバー一派の基本症状論に照らせば、身体感覚、思考、記憶、知覚、行為の自己所属性に微細な異常が生じており、患者自身もそれを「自分に起きている不可解な変化」として自覚している。

 この段階なら、まだ患者と共同できる。患者は自分の体験を現実そのものとして確信しているわけではなく、「何かがおかしい」とこちらに差し出すことができる。治療者もその違和感を一緒に眺めることができる。精神病理学は、ここでは患者を分類する道具ではなく、患者自身がまだ言葉にできない体験に輪郭を与え、治療者との間に共同の足場を作るための言語になる。

 急性発症の時期に入ると、事情が変わる。トレマの中で漠然としていた不穏さは、コンラートのいうアポフェニーとして具体的な意味を帯び始める。通行人の視線、テレビの言葉、看板の文字、家族の何気ない動作が、自分に向けられた徴候として立ち上がってくる。世界は意味に満ちすぎ、偶然が偶然でなくなる。思考吹入、思考奪取、作為体験まで出てくれば、患者の思考や行為が「自分のもの」として成り立つ基盤そのものが崩れている。

 シュナイダーの一級症状は、こうした体験を診断の目印として整理したものだが、その本質は症状内容の奇異さにあるのではない。問題は、思考、感情、衝動、行為が「自分のもの」として与えられる仕方そのものが壊れていることにある。妄想の主題、Soseinは、患者の生活史や葛藤、羞恥、罪責、対人関係から部分的に理解できることがある。だがその妄想が直接的確信として成立する体験様式、Daseinの変容は、通常の心理的因果からは導けない。ヤスパースが一次妄想を了解不能としたのは、この水準においてである。

 急性期の患者は、幻覚妄想の現実性を疑わない。内容を正面から訂正しようとすれば、治療者は患者の生きる世界そのものを否定する存在になってしまう。「それは事実ではない」と論破するより先に、患者が経験している恐怖、切迫、孤立を受け止め、安全を確保し、睡眠と身体状態を立て直し、過剰に意味づけられた世界から少しずつ距離を取れるようにすることが要る。精神病理学的理解が要るのは、患者の妄想に同意するためではなく、患者がどのような世界に置かれているかを見極め、関係を切らないためである。

 やがて急性精神病状態が退くと、しばしばポストサイコティック・デプレッションの時期が訪れる。幻覚や妄想が弱まったからといって、すぐに病前の自己へ戻るわけではない。患者は精神病状態の中で自分が語り、行ったことを部分的に思い出し、羞恥、罪責、喪失感に襲われる。学校や仕事、友人、家族から切り離された現実が目に入り、自分の人生が取り返しのつかないものになったように感じることもある。精神病そのものが自己と世界の連続性を断ち切り、そのあとで患者は、断裂した人生を醒めた意識で見直さなければならない。

 この抑うつは、急性期の疲労や薬剤性の制止だけでは説明がつかない。キスカーの言う人生の意味連続性の破壊への反応であり、いったん失われた自然な自明性は完全には戻らず、患者は以前なら考える必要すらなかった日常生活を、一つひとつ意識的に組み立て直さねばならない。ミンコフスキーの言葉を借りれば、未来へ自然に流れていた生きられた時間が止まり、過去の破局だけが重くのしかかっている状態でもある。

 だから、ポストサイコティック・デプレッションに「産出性症状(陽性症状)は消えたのだから早く元の生活へ戻れ」と迫るのは危うい。この時期に要るのは、失われた機能を急いで取り戻すことだけではなく、精神病を経験した自分を人生の中に改めて位置づけ直す作業である。患者は病気になる前の自分にそのまま戻るのではなく、精神病を経験し、それを生き延びた自己を含んだ新しい意味連続性を、自分の手で作らなければならない。

 古典的なドイツ、スイス精神病理学の価値は、患者を難解な概念に押し込めることにはない。精神病のそれぞれの局面で患者がどのような自己と世界を生きているかを、治療者が見失わないための地図である点にある。

12. トラウマ回復とは「安全な身体経験」の積み重ねである 令和8年7月28日

 トラウマ研究はこの数十年で大きく発展した。その中でもジュディス・ハーマンとベッセル・ファン・デル・コルクは、その流れを代表する存在である。しかし、臨床の現場で多くの患者と向き合っていると、彼らの理論はさらに一歩先へ進められるのではないかと感じる。


トラウマは身体に刻まれる

 ファン・デル・コルクは『身体はトラウマを記録する』で、トラウマは単なる記憶ではなく、生理学的状態として身体に保存されると述べた。危険が去っても、身体は危険の中に生き続ける。少し大きな声を聞いただけで心拍数が上がる。肩に力が入り、呼吸が浅くなり、胃が締め付けられる。頭では安全だと理解していても、身体はそう感じていない。

 PTSD患者が「分かっちゃいるけれど止められない」と語るのは、このためである。この考え方は極めて重要だった。Fight闘争(すぐ怒鳴る、運転でキレる)、Flight逃走(落ち着かない、じっと座れない、仕事中毒、依存症)、Freeze凍結(動けない、声が出ない、頭が真っ白、離人感)という防御反応が特徴として挙げられた。

 従来の精神医学は、患者の思考や感情を修正することに重点を置いてきた。しかし、トラウマでは問題は思考だけではない。身体そのものが、危険を前提とした状態、孤立無援の絶望に固定されてしまっているのである。


ジュディス・ハーマンの功績

 一方、ジュディス・ハーマンは『Trauma and Recovery』で、当時「境界性人格障害」と呼ばれていた患者群の多くに、慢性的な対人トラウマが存在することを指摘した。この原著は齋藤学さん(当時は新聞に秀逸なコラムを載せていた)の勉強会で初めて知ることになった。精神分析家アリス・ミラー(魂の殺人)以来の衝撃だった。当時はフェミニズム論客、社会学のナオミ・ウルフもいて、社会から強いられた女性性の罠を痩せるという強迫から解明しようとしていた(美の陰謀)。ウルフは今、治験結果公表に関してFDAと闘っていた。

 彼女の最大の功績は、それまで「人格の歪み」として捉えられていた現象を、慢性的な対人トラウマへの適応として読み直す道を開いたことである。見捨てられ不安。感情の激しい揺れ。自己嫌悪。解離。自傷。これらは人格の欠陥ではなく、長年危険な絶望的環境で生き延びるために獲得された戦略ではないか、と考えたのである。

 この視点の転換は精神医学に大きな影響を与えた。しかし、その後一部の治療者は、「現在この症状があるなら、幼少期に性的虐待があったはずだ」という逆向きの推論を始めた。催眠療法やイメージ療法によって虐待記憶を「発掘」する治療が広がり、多くの家族が告発されることになった。ここで起きたのが偽記憶論争である。


ヤプコーの警鐘

 催眠療法家マイケル・ヤプコーは、この流れに強い警鐘を鳴らした。彼は催眠を否定したのではない。問題にしたのは、「催眠中に生じた体験を、そのまま歴史的事実と認定すること」であった。患者が催眠下で虐待場面を体験したとしても、それは患者にとって極めて重要な心理的現実である可能性はある。

 しかし、そのことと、実際にその出来事が歴史上起きた事実であることは別問題である。患者の主観的体験と客観的事実を混同してはならない。この区別は現在でも極めて重要である。


エリクソンは過去より経験を変えた

 ヤプコーの師であるミルトン・エリクソンはさらに異なる立場を取っていた。彼は過去の事実を追及することにはあまり関心を示さなかった。重要なのは、「患者が現在どのように生きているか」である。彼は催眠を用いて、患者が安全な状態を経験すること、成功する自分を経験すること、安心して存在できる自分を経験することを繰り返した(二月の男)。

 つまり、解釈や洞察ではなく、患者が無意識のうちに「守られて育った感覚」を獲得することを目指し、経験を変えたのである。患者は理解して変わるのではない。新しい経験を積み重ねることで変わる。この考え方は極めて現代的である。


身体はトラウマだけではなく、安全も記録する

 ここで私が強調したいことがある。ファン・デル・コルクは、「身体はトラウマを記録する」と言った。しかし、臨床の現場では、その逆もまた真実である。身体は、安全をも記録する。これは多くの患者から学んだことである。


山登りが教えてくれたこと

 長年過食嘔吐に苦しんだ40代女性がいる。確かに、過食嘔吐は内側から湧き上がる苦痛と、外側から押し寄せる脅威の双方から、自分を護る鎧であった。そして彼女は、自分を囲っていたその鎧の蓋が開いて密閉感が消えた数年前から、山登りを始めた。最初は近場の低山だった。やがて月山に登り、飯豊山を登り、冬山登山できるようになって行った。彼女は「トラウマ治療」を受けていたわけではない。

 しかし、登る、息を切らす、汗をかく、疲れる、景色を見る、仲間と笑う、無事に帰宅する、泥だらけの服、道具を洗う、これを何十回も繰り返した。その反復のなかで、身体は少しずつ「私は安全に生きられる」という新しい感覚を覚えていったように見える。

 その彼女、「山登りし過ぎて膝と腰が痛いんです」「ずっと100か0で来たので、山登りも100%でやってしまう」ちょっと笑って「これ、身体からの警告ですね」と。彼女は昔、身体を敵として扱っていた。しかし今は、身体を相談相手として扱っている。身体が味方になったのだ。


デイケアが本当に目指しているもの

 同じことは、デイケアでも起きている。料理、卓球、バンド、散策、冒険、レクリエーション、ミーティング、一見すると単なる活動である。勿論、活動に入るのには勇気がいる。自分たちの安全を守るためのルールもある。彼らは単なる友達ではない。それぞれ異なる時空間で、それぞれの戦場を生き延びてきた仲間たちである。

 しかし治療学的にはすべて共通している。患者は、「安心して活動する自分」を何度も経験する。料理では、失敗しても怒られない。出来上がってみんなで舌鼓を打つ。卓球では、笑いながらラリーに興じる。外部対抗戦では毎年屈していた相手に雪辱を果たした。バンドでは、仲間と音が合う喜びを知る。ハモリが生まれ、アカペラまで登場する。ミーティングでは、恥を語っても拒絶されない。悔しい思いを語ればみんなが頷く。仲間がいる。一緒に笑い、涙するスタッフがいる。

 患者は、「安全な場所」を発見しているのではない。安全に存在している自分自身を発見しているのである。この違いは極めて大きい。

AAが回復共同体である理由

 同じ原理はAAにも存在する。AAでは毎回、酒を飲んでいた当時の話をする。失敗を語る。武勇伝を語る。裏切りを語る。喪失を語る。泣く。笑う。タバコの煙が目にしみる。真っ黒いコーヒーを何倍も飲みながら。仲間から拍手される。ハグされる。刑務所でメッセージ活動を行う。大会で何百人もの回復者が集まる。

 これらは単なる精神論ではない。アルコール依存症患者の身体には、長年にわたる汚辱感、罪悪感、自己嫌悪、孤立感が染み付いている。

 AAはそれらを理屈で消すのではない。「受け入れられる経験」を何百回も積み重ねるのである。その反復が身体を書き換えていく。


回復とは身体化である

 精神医学はこれまで、症状が身体化することを語ってきた。しかし、実際には回復も身体化する。安心も身体化する。信頼も身体化する。絶望も身体化するが希望も身体化する。そして、共同体の中で活動することによって、身体は「人は危険なだけではない」「私はここにいていい」「私は役に立てる」という感覚を覚えていく。安心、安全を受肉する(Incarnation)と言ってもいいかもしれない


人は理解しただけでは変わらない

 人は、安全な身体経験を繰り返し積み重ねることによって変わる。

 ハーマンは、トラウマは人間関係の中で起こり、回復もまた人間関係の中で起こると言った。ファン・デル・コルクは、身体の回復を重視して、ヨガ、呼吸法、ダンス、演劇、神経フィードバックを取り上げた。エリクソンは、催眠を用いたり、宿題を出して、新しい経験を積み重ねられる状況を作った。AAは、共同体を作った。デイケアもまた、安全な共同体を作っている。

 一見すると別々の理論に見える。しかし、その底に流れているものは同じである。人は理解して変わるのではない。人は、安全な身体経験を繰り返し積み重ねることによって変わる受動的に安全にしてもらうことではない

 その経験は、料理であってもいい、卓球であってもいい。バンドでもいい、山登りでもいい。AAでもいい。

 重要なのは、「安心して存在できる自分」を何百回も身体で経験することである。その反復こそが、トラウマによって刻まれた身体の記憶を書き換えていく。身体はトラウマを記録する。しかし同じ身体は、回復もまた記録する。そして、回復とは決して特別な治療技法だけによって起こるものではない。

 人と共に笑い、働き、料理し、歩き、演奏し、語り合うという、ごく当たり前の日常の中で、安全な経験が繰り返し積み重なるとき、身体は「危険の中で生きる自分」から、「安心して生きられる自分」へと少しずつ書き換えられていく。

 私は、ここにトラウマ治療の本質があると考えている。

 症状は、身体の故障ではない。多くの場合、それは、その人が生き延びるために身体が覚えた言葉である。だから治療とは、その身体に、「安全」「信頼」「喜び」という新しい言葉を、ひとつひとつ教えていく営みなのである。

11. バリー・ヤング事件*が問いかけるもの──組織防衛、認知バイアス、そして科学の本質 令和8年7月27日

 ニュージーランドで進行中のバリー・ヤング氏の裁判は、一人の内部告発者をめぐる刑事事件にとどまらない。科学、行政、専門家集団が危機の中でどのように意思決定し、どのように自らを守ろうとするのか──人間社会に普遍的な問題を映し出す事件である。

 報道によれば、ワクチン接種データについて検察側の専門家は閲覧できた一方、裁判所への提出をめぐっては議論が続いたという。この経緯が事実であるなら、「なぜ専門家には見せられるものが、裁判所では十分に検証できないのか」と多くの人が疑問を抱くのは当然だろう。もちろん、この事実だけで重大な隠蔽を断定することはできない。個人情報保護や証拠法上の制約など、法的な理由が存在する可能性もある。

 しかし、この事件が本当に投げかけているのは、もっと深い問いではないか。人間は、自らが信じてきたものを、本当に自分自身で検証できるのか。

認知バイアスは知性とは無関係である

 心理学には「認知的不協和」という概念がある。人は、長年信じてきたことと矛盾する証拠に出会うと、それを客観的に評価するよりも、自分の信念を守ろうとする傾向を持つ。重要なのは、この傾向が知能とも学歴とも無関係だという点だ。優秀な医師も、世界的な研究者も、ノーベル賞受賞者も、経験豊富な行政官も例外ではない。

 さらに「コミットメント効果」が加わる。一度、公の場で政策を支持し、論文を書き、会見を開き、国民に説明し、メディアで繰り返し語った人ほど、「今さら間違っていました」とは言えなくなる。これは悪意ではなく、極めて人間的な反応だ。

 だからこそ科学は、人間の善意だけを前提にはしない。第三者による再解析、公開データ、反証、再現性、公開討論──これらはすべて、人間は誰でも間違えるという前提から生まれた制度である。

専門家はいつ「当事者」になるのか

 専門家は高度な知識を持つ。しかし、その知識が社会制度と結びついた瞬間、専門家は観察者ではいられなくなる。政府の委員会に参加し、ガイドラインを作成し、研究費を受け、大学で教育し、メディアで政策を説明する──その時点で、専門家は政策を評価する立場と、政策を支える立場の両方を同時に担うことになる。政策を修正することは、自らの判断を修正することと同義になってしまうのだ。

 専門家にとって最も大きな利益は、お金ではない。社会的信用であり、専門家であることの権威であり、「正しいことを語る人」として社会から認められてきた歴史そのものである。だからこそ、生データの全面公開や第三者による自由な再解析は、ときに制度全体にとって大きな緊張を生む。問題は結論が覆ることだけではない。専門家だけが解釈を独占する構造そのものが揺らぐことなのだ。

組織は真実より存続を優先する

 自己保存本能を持つのは個人だけではない。行政も大学も企業も病院も同じだ。組織が恐れるのは「真実」そのものではなく、真実によって生じる結果──責任問題、損害賠償、政治的批判、予算削減、組織改革、幹部の辞任、社会的信用の低下である。こうした危険が見えた瞬間、「まず組織を守ろう」という力学が働く。

 ここで重要なのは、多くの場合それが悪意ではなく善意として現れることだ。「社会が混乱する」「誤解を招く」「専門知識のない人が誤読する」「公衆衛生を守らなければならない」。本人たちは隠しているとは思っていない。守っていると思っている。だからこそ組織防衛は、本人にすら見えにくい。

トーマス・クーンが示した科学の現実

 科学史家トーマス・クーンは『科学革命の構造』で、科学が一直線に真理へ近づくわけではないと論じた。ある時代には「常識」とされるパラダイムが存在し、多くの研究はその枠組みの中で進む。しかし説明できない事実は少しずつ積み重なっていく。最初は例外として扱われ、次に測定ミスと言われ、最後には異端扱いされる。それでも説明できない現象が増え続けると、ある瞬間にパラダイムそのものが転換する。

 重要なのは、この転換がデータだけでは起こらないという点だ。古いパラダイムを守ろうとする社会的・制度的抵抗が必ず存在する。クーンは科学を、人間が営む社会活動として描いた。科学者もまた、人間なのである。

ジェファーソンとヘネガンが問い続けたこと

 オックスフォード大学のトム・ジェファーソンとカール・ヘネガンは、パンデミックを通じて一貫して同じ問いを投げかけ続けた。「証拠はどこにあるのか」。彼らはワクチン反対運動をしていたわけでも、ロックダウン反対運動をしていたわけでも、PCRを否定していたわけでもない。彼らが批判したのは、証拠より先に政策が決まり、政策に合わせて証拠が選ばれ、異論を排除する空気が形成されたことだった。

 彼らは繰り返しこう書いている。「科学は合意ではない。科学は反証可能性である」。多数決でも肩書でもなく、反対意見が存在できることこそが科学だ、というのが彼らの主張である。

 「三人の辺境の疫学者」

 その象徴的な出来事がグレート・バリントン宣言だった。スタンフォード大学のジェイ・バタチャリア、ハーバード大学のマーティン・クルドルフ、オックスフォード大学のスネトラ・グプタ──世界的に著名な疫学者たちが、ロックダウン政策への異論を提示した。内容への賛否は別として、本来なら科学的議論によって検証されるべき提案だったはずだ。

 しかし2020年10月8日、NIH長官フランシス・コリンズはアンソニー・ファウチにメールを送り、彼らを"three fringe epidemiologists"、すなわち「三人の辺境の疫学者」と呼んだ。そして"There needs to be a quick and devastating published takedown of its premises."──「この宣言の前提を、迅速かつ壊滅的に打ち砕く公表済みの反論が必要だ」と記している。

 もちろん、この一文だけで不正を断定することはできない。しかし、このメールが象徴しているのは、「まず検証する」ではなく「まず打ち砕く」という発想だ。ここに、組織防衛が科学へ入り込む危険性がある。

バリー・ヤング事件の意味

 バリー・ヤング事件は、ワクチンだけの話ではない。専門家はどこまで中立でいられるのか。組織はどこまで自己保存から自由でいられるのか。科学は権威を守るために存在するのか、それとも権威すら検証するために存在するのか──そういう問いなのだ。

 科学の歴史は、異端と呼ばれた人々が常に正しかった歴史ではない。しかし同時に、異端と呼ばれる自由が失われた時代ほど科学が停滞してきたことも、歴史が示している。

 人間は間違える。専門家も行政も間違える。だから必要なのは「間違えない人」を探すことではない。誰もが間違え得ることを前提に、異論を歓迎し、データを公開し、自由な検証を許す制度を維持することだ。透明性は組織を弱くするものではない。むしろ、自らの誤りを修正できる組織だけが、長期的な信頼を獲得できる。

 バリー・ヤング事件が最終的にどのような司法判断に至るとしても、この事件は一つの問いを残している。科学は誰のものなのか。政府のものか、大学のものか、専門家だけのものか。

 そのいずれでもない。科学とは、どれほど権威ある結論であっても、常に反証と再検証に開かれている営みである。その自由を失ったとき、私たちが守っているのは科学ではなく、科学という名の組織にすぎない。






* バリー・ヤング氏は、ニュージーランドの国営保健機関 Te Whatu Ora(Health New Zealand) のデータベース管理者であった。2023年11月、ヤング氏は

  • COVID-19ワクチン接種記録
  • 接種日
  • 死亡情報

を含むデータベースを利用し、自身で解析を行った。その結果、「特定のワクチンロットの後に異常に多くの死亡が発生している」と考え、上司や政府関係者へ安全性への懸念を伝えたものの十分な対応がなかったとして、外部へデータを提供。本人はこれを公益目的の内部告発だったと主張。

何が問題になったのか

Health New Zealand側は、

  • 職務上アクセスできるデータを無断で持ち出した
  • 個人情報を含む医療データを漏えいした
  • 不正アクセスに当たる

として警察へ通報。ヤング氏「コンピュータシステムへの不正アクセス(dishonest purpose)」の容疑で起訴され、有罪なら最長7年の刑となる罪に問われた。

データ解析を巡る論争

ヤング氏や支持者は

  • 接種後に死亡が集中したロットがある
  • 政府は検証すべきだった
  • 公衆衛生上の公益通報だった

と主張。一方、Health New Zealandや多くの疫学者・統計学者は、

  • 公開されたデータだけでは因果関係は判断できない
  • 高齢者や基礎疾患のある人ほど早く接種しているため、死亡数だけでは交絡(年齢・健康状態など)の影響を除外できない
  • データ解析手法が科学的に適切ではない

と反論。

個人情報漏えいの問題

当初、Health New Zealandは公開データは匿名化されているとしていたが、その後、

  • 技術的知識があれば一部の個人を特定できる可能性がある
  • 少なくとも約1万2千人に影響が及んだ

ことを認めている。

その後

ヤング氏は退職し、

  • 「内部告発者保護法に基づく保護を受けるべきだった」
  • 「公益通報を理由に不利益な扱いを受けた」

としてHealth New Zealandを相手に労働紛争も提起している。

10. 症状は「過去の生存戦略」である 令和8年7月16日

  精神療法では、症状を「病気」とみなす立場が主流である。しかし長年の臨床を振り返ると、私は症状をそのようには考えなくなった。症状は敵ではない。むしろ、それはかつて患者を生き延びさせた最善の戦略なのである。或いは戦友と言ってもいいかもしれない。

 多くの患者の生育歴には、理不尽な暴力や支配が存在する。父親や養育者からの暴力、学校でのいじめ、あるいは権威者からの圧迫である。しかし、それだけでは決定的ではない。より深刻なのは、その場にいた母親や養育者が自分を守ってくれなかったという体験である。

 子どもは二重の敗北を味わう。

 一つは暴力に対して反撃できない無力感であり、もう一つは、本来守ってくれるはずの母親にも守られなかったという見捨てられ感である。そこには強烈な屈辱が伴う。

 しかし、この子どもは壊れてしまったわけではない。

 彼は生き延びた。そのために、当時取り得る唯一の最適解を選択したのである。怒ればもっと酷い目に遭う。助けを求めても無駄である。ならば耐えよう。嵐が過ぎ去るまで息を潜め、この危険な空間から脱出することだけを考えよう。

 これは諦めではない。生存戦略である。しかも、この戦略は成功した。彼は生き延び、大人になった。問題は、その成功した戦略が四十年後にも動き続けることである。

 会社で理不尽な上司に遭遇する。本来なら怒るべき場面である。しかし怒れない。身体症状が出る。不眠、動悸、胃痛、パニック、不安。そして妻に助けを求める。

 ここで症状は単なる病気ではなくなる。症状は妻を呼び寄せる手段になる。

 つまり、子ども時代に得られなかった保護を、大人になってから獲得しようとする試みなのである。彼は決して意図的にそうしているわけではない。全く無自覚である。

 しかし症状は、「守ってもらう」という乳児期のコミュニケーションを再現している。最初、妻は支える。心配し、励まし、休ませ、寄り添う。しかし年月が経つ。子どもが生まれる。仕事の責任も増える。妻自身も疲弊する。

 すると妻は夫だけを最優先できなくなる。ここで患者の内部では、現在の出来事と過去の体験が重なる。「また守ってもらえなかった。」「また私は後回しにされた。」現在の妻は、いつの間にか子ども時代の母親へと変わる。妻自身が変わったのではない。

 患者の世界の中で、妻が「守る人」という機能を担っていたため、その機能を果たさなくなった瞬間に、母親の位置へ重ねられるのである。さらに、この関係には性愛が加わる。彼は妻に保護も求める。同時に性的な承認も求める。

 しかし母親役を担わされた相手を、性的対象として見ることは容易ではない。妻は介護者になり、夫は子どもになる。性愛は失われる。患者は性的拒絶を経験する。

 しかし彼が本当に傷ついているのは性交ではない。「私は最優先されなかった。」という幼少期から続く体験である。だから症状はさらに悪化する。

 ここで重要なのは、症状をなくそうとすることではない。症状には意味がある。それは「怒りを本来向けるべき相手へ向けられなかった」結果なのである。だから治療者は症状を撫で続けてはならない。ある時点で患者を揺さぶる必要がある。

 「君は人にどうしたらいいか尋ね回るだけで、自分では決めないよね。」

 「逃げ回る代わりに、その相手に一言返せないか。」この直面化によって患者はたじろぐ。「転院する。」と言い出すことも少なくない。

 しかし、それ自体が治療材料である。怒りを直接表現できず、関係から退出することで怒りを表現しているからである。

 そこで私は慌てて引き止めない。代わりに一呼吸置く。「奥さんとは相談したの?」「お母さんとは話したの?」

 患者はいつものやり方を思い出す。不安になる。誰かに決めてもらう。責任を預ける。そのパターンが目の前に映し出される。すると多くの患者は転院を撤回する。説得されたのではない。自分がまた同じプログラムを動かそうとしていたことに気づくのである。

 ここで治療者が教えているのは怒りではない。怒りを本来の所有者へ返しているのである。会社で受けた理不尽を、身体にも妻にも向けず、その相手へ返す。そうすると妻は母親役から降りることができる。

  初めて、自分で自分を守る大人になる。

 ここで私は、治療とは症状を消すことではないと考える。症状は、子ども時代に彼を生き延びさせた忠実な味方だった。だから否定してはならない。

必要なのは更新である。「あの戦略は、あの時代には君を救った。」

「しかし今は、もっと成熟した方法で自分を守ることができる。」

 症状が消えるのではない。症状はその役割を終えるのである。

 人格発達とは、新しい能力を獲得することではない。子どもの頃には使えなかった能力を、人生の後半になってようやく使えるようになることである。

 怒ること。

 断ること。

 境界を引くこと。

 そして、自分で自分を守ることである。

 そこに至ったとき、症状は静かに退場していく。

9. 反精神医学と救済妄想 令和8年7月5日

 1970年代の反精神医学は、実際に精神病院の閉鎖病棟や隔離処遇と格闘していた。ところが現在の後継者たちは、その闘争の歴史的文脈を離れ、反体制そのものがアイデンティティ化しているように見える。だから「いったい今は何と闘っているのか」が見えにくくなる。そこに、「残党感」がある。

 精神科医療の現場はこの4050年でかなり変わった。しかし運動の側は、ときに1975年の敵を2026年にも追い続けているように見えることがある。当時の医局紛争や病者集団を実際に見てきた世代ほど、その歴史的なズレを強く感じるだろう。

 タヴィストックの星と言われた俊英R.D.レインは本来、非常に鋭い臨床観察者だった。特に家族内コミュニケーション、ダブルバインド、偽装された正常性、親密圏の中の暴力性を描く筆致は、今読んでも凄みがある。しかし、彼は途中から、突如、統合失調症は病ではなく、疎外された近代人が通過する実存的変容であると言い出した。60年代後半にはLSDを精神病理解の手段として研究。直接的な接触はないが、ここにオルダス・ハックスリー的な神秘主義、反近代、意識拡張、エリート的選民思想が重なる。狂気を「破綻」ではなく「覚醒への旅」と読み替える誘惑だ*

 臨床現場では、統合失調症は、恐怖、断片化、被害妄想、自我境界の崩壊、生活能力の破綻、家族の疲弊を伴う。そこに「超越へのプロセス」という物語をかぶせると、患者本人の苦痛も、支援者の限界も、現実のケアの必要性も見えなくなる。キングスレー・ホールの実験が象徴的である。キングスレー・ホール(Kingsley Hall**は、1965年から1970年まで、R. D. レインと仲間たちが運営した、精神医学史上もっとも有名な実験的治療共同体の一つ。レインは、統合失調症などの精神病状態を単なる脳疾患ではなく、人間存在の危機として理解しようとした。キングスレー・ホールでは、精神病院に入院させない、身体拘束をしない、原則として向精神薬を使わない、医師と患者という上下関係をできるだけ解体する、一つの共同生活の中で「狂気の旅(voyage)」を見守るという当時としては極めて急進的な試みが行われた

 レインは有名な言葉として「狂気は、狂った世界への合理的な反応である」という趣旨を繰り返し述べている。

 彼は精神病を、家族関係、ダブルバインド、実存的不安、自己の分裂から理解しようとした。これはヤスパースやビンスワンガー、ミンコフスキーなど現象学的精神医学の流れを強く受けている。理想は、患者を病院から解放し、共同体の中で狂気を生き切らせるだった。しかし実際には、共同体は消耗し、境界設定は崩れ、レイン自身もアルコールと自己崩壊に傾いていった。レインの偉大さは、精神病を単なる脳疾患としてではなく、家族・社会・実存の文脈で読もうとしたこと。レインの限界は、精神病の破壊性と医療的介入の必要性を、反体制ロマンの中で過小評価したこと。つまり彼は、狂気を管理対象に貶める精神医学への反抗として出発し、最後は狂気を美化しすぎて、患者の現実から離れてしまったレインを単なる反精神医学の英雄として読むより、「精神医療の限界を誰よりも真剣に見た人間」として読む方が、本質に近いだろう。

 レインが若い頃に見ていたのは、ロボトミー、長期隔離、大量投薬、人間を症状としてしか見ない精神医学だった。彼はそこで、「我々はいったい何を治しているのか」という問いに取り憑かれた。そして恐らく、精神病者の苦悩だけでなく、治せない自分自身の無力を見てしまった。だから彼の文章には、普通の精神科医にはない切迫感がある。『引き裂かれた自己』などを読むと、統合失調症患者の内面をここまで理解しようとした精神科医は稀だ。しかしその深い共感が、やがて「病ではない」「変容の旅だ」という方向に傾いていく。ある意味では、治療不能性に対する絶望への防衛だったのかもしれない。ヤスパースもまた精神科医として出発した。しかし彼は、精神病の意味は理解できても、精神病そのものを超克することはできないという壁にぶつかった。そして彼はそこで、医学ではなく哲学の問題だと考えた。『精神病理学総論』を読むと、患者を理解しようとする情熱はレインに負けていない。しかし最後には、理解可能なものと理解不可能なものがあるというところで踏みとどまる。ある意味では諦念だ。レインにはその諦念がなかった。彼は最後までもっと深く理解できるはずだもっと自由になれるはずだと信じた。だからキングスレー・ホールに行き着く。しかし共同体は精神病を救済しなかった。むしろ共同体そのものが精神病理に巻き込まれていった。レインにも哲学に逃げてほしかった。哲学への逃避は、敗北の形式としてはかなり高貴なものだ。ヤスパースは「人間には限界がある」という地点で立ち止まった。レインは「限界を超えられる」と信じ続けた。結果として、ヤスパースは思想家として成熟し、レインは預言者になろうとして燃え尽きた。レインの悲劇は、狂気を恐れなかったことではなく、狂気の深淵を覗き込み続けた末に、自分もまたその深淵に魅了されてしまったことだ。

* ハックスリーがサイケデリックドラッグに接近、カナダのサスカチュワン研究所のハンフリー・オズモンドと親交を得る。ハンフリー・オズモンドこそ、ハックスリーとの間でサイケデリックという言葉を用いることを考案した人で、昨今一部で騒がれているアドレノクロム仮説を信じて、アルコホリックの治療に使われていたナイアシンを統合失調症に用いた。彼はハックスリーにメスカリンを提供、ハックスリーは「天国への扉」を著す。ダーウィンのブルドッグと称された、トマス・ハックスリーはオルダスハックスリーの祖父。そしてトランスヒューマニズムを唱えたのは、ジュリアン・ハックスリー、オルダスの兄。オルダスはマッドサイエンティストとして名高いティモシー・リアリーとも接近、アルコホリクス・アノニマスの創始者、ビル・ウイルソンはLSD体験し、オルダスと親交。ビルは断酒に神秘的体験が必要と確信していたが、オルダスの仲介でハンフリー・オズモンドの同僚のエイブラハム・ホッファーと会い、アルコール依存症に対してナイアシンが離脱後うつ病だけでなく飲酒欲求、孤立感、寂寥感、不安に有効ということを知り、自ら服用して劇的に改善した。

** レインのキングスレー・ホールは「狂気の旅を非医療的共同体で通過させる場」だった。キングスレー・ホールは、196570年にPhiladelphia Associationが運営した共同体で、精神病を病院・薬物・拘束から切り離し、「意味ある狂気」として受け止めようとした。レインは治療構造そのものを疑った。その結果、患者の主体性は最大化されたが、治療者の責任境界も曖昧になった。キングスレー・ホールは「精神病体験を制度外で生き切らせる思想的実験」であった。

8. 虚ろな目 令和8年7月3日

 病院の予約は午後からだったが、こういう時は動けるうちに行かなければと思った。病院までは徒歩5分ほどだったが、既に気分は相当悪く、雪道を歩きながらタクシーを呼べばよかったと後悔した。看護婦さんに「やっちゃったかも知れません。」と唐突に話した。こういうことは初めてではないので、看護婦さんの対処も早い。

 「いつ頃何を飲んだか分からない?」「すみません、飲んだかどうかも・・・ただ凄く気分が悪くて。」自分の意思で行う大量服薬と違って、私のような別人格での薬物中毒はたちが悪い。何を、いつ、どれくらい飲んだかさっぱり分からないからだ。薬物によっては胃洗浄が逆効果のものもある。そうなると下手な処置はできない。

 結局私は処置室に寝かされて、点滴をして様子を見ることになった。しばらくすると猛烈な吐き気が襲ってきた。歩いて1分ほどのトイレがものすごく遠く感じられ、一度入ると今度は処置室に戻れなくなった。パブロンなんかを大量服薬すると黄色い嘔吐物になるが、今回はおにぎり以外は無色透明であった。薬は飲んでいないんだろうか。

 しかしみるみる体調は悪くなった。大量服薬と断定して、血中濃度を下げるための大量点滴が始まった。利尿剤で排出を促すために、具合は悪いが横になることもできず、トイレと処置室をよろよろと往復した。何も知らずに様子を見に来た夫は、またやったかみたいなあきれ顔だった。そして自業自得だという目で私を見下ろしつつも、一応付き添ってくれた。

 その日はいったん帰宅を許された。しかし私は一晩中気分が悪く、トイレでひたすら空吐きしていた。後で分かったことだが、カプセルの総合感冒薬とバファリンを合わせて140錠も飲んでいた。病院の安定剤と違いかなりの大きさと量なので、常識的に考えても飲むのは相当大変なはずだった。風邪薬と分かれば肝機能障害が疑われる。

 次の日は朝から来いと言われていたが、あまりの具合の悪さにたどり着けなかった。午後にようやく到着し、すぐに血液検査と大量の点滴投与が行われた。処置室のベッドは点滴の患者で一杯だった。私は一番奥のベッドでカーテンを引かれ、隔離された状態の中、少し具合の悪さから解放されて深い眠りに落ちた。

 どれくらい時間がたっただろうか、ふと目を開けて私は驚いた。カーテンは開けられていた。そして隣のベッドで主治医が腰をかけて、子供みたいに足をぶらぶらしていた。虚ろな疲れ切った目で、熟睡している私をじっと見ていた。診察時間はとっくに終わり、看護婦さんも他の医師もみんな帰った後だった。主治医は私を起こさずにじっと待っていてくれた。

 「お目覚めですか。」と言ってベッドを降りる。「もう大丈夫だと思うよ。帰ろうか。」主治医が愛想笑いの一つもしてくれなかったので、私は非常に心苦しく思いながらよろよろ靴を履いて立ち上がった。私たちは無言のまま処置室を出て、正面玄関も閉まっていたので救急搬送口から帰ることにした。「すみませんでした。」という私の言葉にも無反応だった。

 他人に熟睡している顔を観察されるのは恥ずかしい。しかしそういう問題じゃない。大量服薬して目を覚まさない私を、主治医はどんな気持ちで見守っていたんだろう。私は以前主治医がこんなことを言っていたのを思い出していた。「患者が大量服薬したりすると、医者をやめようかなと本気で思うよ。」

 あの虚ろな目にはいろんな意味を感じる。私の愚かさを嘆くようにも見えたし、命のともしびを眺めているようにも見えたし、あるいは、医者としての無力さを感じているようにも見えた。医者として見守ることしかできないというのは、一体どれほど苦しいものだろうか。治療しても治療しても、死に向かう患者を見つめる気持ちは。

 不毛とも思える治療に疲れるのは、患者だけではなく医者も同じことだ。ただ、医者はそれでもあきらめることを許されない。方法がないとしても、投げ出すことは許されない。その患者が死んでいくとして、為す術がなくても、そこから目をそらすことは許されない。私以上に辛いかも知れない。

 時折浅い眠りにつきふと目を覚ました時に、そこに足をぶらつかせた主治医師がいるような気がする。くたくたに疲れて虚ろな目で、私をじっと見ている気がする瞬間がある。あの虚ろな目の向こう側には、私の抱える闇以上に、深くて救われそうにないものを感じる。もしかすると、深い海の底に沈んだ車の中でもがく私を、同じく沈んだ車の中から主治医が見ているんじゃないかとさえ思う。


前項の同じ人が大分経ってから送ってきた文章。主治医が決して救世主ではなく、同じように苦悩する存在であることを感得した、それを伝えてくれた。主治医は点滴の指示を出すだけで、ただ疲れ切った顔で、本人が目覚めるのをぼーっと見ている。治療はしていない。本人の強靭さと洞察の深さに感銘。
対象の脱理想化と実在化を果たしている。

7. 一台の車が沈んでいます 令和8年7月2日

私は車ごと海に転落しました。逃げだそうと必死ですが窓もドアも開きません。

 やがてレスキュー隊がやってきました。

「大丈夫ですよー必ず助かりますからまず落ち着いてくださいー」

「大丈夫じゃねーよ!レスキューだったら早く助けろよ!」

「それは無理です。自力で脱出してください。」

「開かないんだよー!」

「まあまあ落ち着いて。それは水圧がかかっているからです。

いいですか、よ~く聞いて。これから車の中に水が入ってきます。

車内の空気が完全になくなるとドアが開きますから」


やがて知らせを聞いた彼がやってきました。

どんな声をかけても私はパニックで聞き入れません。

自分に何ができるだろうかと考えたが分かりません。

そこでレスキュー隊員にたずねました。

「あなたは家で部屋を暖めて待っていてください。」

自分にできることはそれしかないと確信して、彼は海をあとにしました。

なおも私は暴れています。

この状況は全く大丈夫なんかじゃあないと思っています。

生への執念は凄まじく、

こんな力がどこにあったのかというくらいの勢いです。

しかしドアは開きません。

やがて疲れてくると、諦めの空気が漂います。

どうして車に乗ったんだろう。

どうして海に落ちたんだろう。

どうしてレスキュー隊は助けてくれないのだろう。

どうして彼は私を置いて帰ったのだろう。

後の教訓にはなりますが、

それはあくまで助かってからのこと。

今はそんなことを考えても脱出することはできないと、

私は本当は気がついています。

疲れたことが功を奏して、

私は少し落ち着きを取り戻しつつあります。

あのレスキュー隊員はプロに違いない。

今までにも同じような状況の人間を救ってきているのだから、

ここは彼らの言うことを信じてみるしかないかもしれない。

何より私は脱出する術を持たない。

ここで無駄な体力を消費してはあとで大変だ。

私は生への道をレスキュー隊に任せたのでした。

水がどんどん車内に入ってきて、

残りの空気もわずかになりました。

あとは私の勇気と体力次第です。


ところがここにきて私に妙な考えが浮かびました。

あのレスキュー隊は本当に私を助けたいと思っているだろうか。

だいたいどんな奴らか知れたモンじゃないし、

私のことだって分かっちゃいない。

何も知らない人に私は命を預けてる?

私は一体何をしているんだろう。

それにもし仮に彼らの言うことが正しかったとしても、

ドアが開くとは限らない。

私の息が続くかどうかも分からない。

車がどこまで沈んでいるかも分からないから、

もしかすると泳ぎ切れないかも知れない。

密室の中で死の恐怖が全身を蝕んでいきます。


助かりたい、助けて欲しいのに誰も信じられない。

私は私自身の力でこの扉を開けて深い海の底から空を目指さなければならないのに、

その勇気がなくてただじっと震えてここに留まっています。

自分は自分の力で助かるしかないが、何故助かりたいのだろうか。

生き物だから本能で生命を保とうとしているのだろうか。

この心臓が動いてさえいればいいと言うのか。

私が求めるものはそういうものなのだろうか。

泳ぎ切ったその先に、私の信じられる人がいなかったら。

そんな世界に私は生きていたいのだろうか。


この車の中は偽善も嘘もない孤独だけれど真実だけの世界。

私が最後に考えること。

この車はどんどん沈んでいき、ドアは外から開けることはできない、

そうと知っていても暗くて冷たい海に飛び込んで、

私を助けようとしてくれる人が私にはいなかったということ。

そんな人はこの世にいないかも知れないがいると信じて生きてみたかったのです。

これが現実、これが真実。

それは私にそれだけの価値がない人間だったということの証でもあります。

今は恐怖よりも悲しみよりも寂しさよりも怒りよりも、

ただ自分自身への虚しさを感じています。


泳ぎ切った私を受け入れてくれる人がいても、

沈んでいく私を追いかける人は誰もいませんでした。



当時、万策尽きて治療が座礁していた頃、本人から送られてきた直筆の手紙。綺麗な字で、迷いなく一気に書かれた文章。本人の絶対的孤独と治療者との関係を突き付けて来た。本人の内奥をどうやって理解しようかと、改めて鼓舞された。

6. トラウマを人格構造の中に組み入れた者の自己破壊的テスティング――「理解者」を失わせる逆説 令和8年7月1日

 幼少期の虐待やネグレクトを経験した者の多くは、「人は信用できない」「親密になると傷つく」という記憶を抱えて生きている。しかし、その外傷体験が人格構造の中核にまで組み込まれると、それは単なる「過去の記憶」ではなく、「人間関係とは本来そういうものだ」という世界理解そのものへと変化する。

 斯様な人は、誰よりも切実に理解者を求めながら、皮肉にも理解者との関係を自ら破壊してしまう。その中心にあるのが、自己破壊的なテスティングである。

 テスティングとは、もともと、「本当に自分を見捨てないのか」「最後まで味方でいてくれるのか」を確認するための行動である。しかし、それは言葉による確認にとどまらず、四六時中自分に関心を向け続けることを求め、相手を限界まで追い詰めるという形を取ることが少なくない。

 愛する人に対するテスティングは、関係そのものを摩耗させていく。同時に、治療者に対しても同様のテスティングがおずおずと試みられるが、それは奏功しない。本来であれば、テスティングが通用しないこと――治療者が揺らがず、見捨てもしないこと――は、安全基地としての治療構造を裏づけるはずである。しかし患者はこれを逆に読み替え、「テスティングに応じてもらえない」ことを「自分を信じてもらえていない」証拠とみなし、治療者への不信感に転じる。かくして、確認のための行為であったはずのテスティングは、治療者を加害者に位置付け、その帰結として患者自身が治療関係を離脱して行くことになる。しかしながら、このことは、少なくとも現実が人格構造へ介入する契機が生まれたと言える。

 外傷体験が人格構造へ組み込まれると、人は最も信頼したい相手ほど激しく試し、最も理解してほしい相手ほど加害者の位置へ追い込み、結果として「やはり私は被害者だった」という世界観を再確認してしまう。

 その意味で、自己破壊的テスティングとは、愛情を失うための行為ではない。愛情を確かめようとする試みそのものが、愛情を破壊してしまうという、極めて悲劇的な対人関係の力動なのである。
 
 本人の人格構造は、父親との外傷体験だけでは形成されない。母親の罪悪感を媒介とした相互作用によって精緻化され、その後は治療者との関係の中でも同じ構造が再演・洗練され続けた。

5. うつ病性昏迷に対する急性期ECTと長期予後――ある女性症例 令和8年6月27日

 彼が治療現場から解放されて十年ほど経過したころ、別のうつ病患者が現れた。初診時三十五歳の女性である。不眠のため近隣の内科で睡眠薬を処方されていたが、正体の知れない状態が持続し、夫に伴われて受診した。彼女は発語こそ可能であったが、やや複雑な問いになると応答できず、自己同定、場所の見当識、居住地の想起すら困難であった。夫は痴呆の発症を危惧していた。

 診察時に把握されたのは、単なる抑うつ気分ではなく、自己定位、対話の成立、時間・場所の枠組みが広く損なわれた状態であった。私は直ちにクロミプラミンおよびジアゼパムの点滴を施行したが反応はなく、翌日も同様の試みを行ったが改善は認められなかった。生命危機的状態へ移行する可能性の高いうつ病性昏迷と判断し、電気けいれん療法を選択した。

 うつ病性昏迷は、精神科臨床における明白な生命危機的状況であり、悠長な薬物療法の経過観察に委ねてよい病態ではない。大学病院在職中、私は内因性精神病の急性期から慢性期増悪までECTを施行してきたが、少なくとも臨床印象として、急性期に導入した場合の方が予後は良好であると感じていた。本症例は初発のうつ病昏迷であり、その意味でもECTの適応は明確であった。計十五回施行し、彼女は寛解した。ただし、治療期間中および受診前三か月の記憶は、ほとんど失われていた。

 病前、彼女は全国チェーンのスーパーの生鮮食料品売り場で勤務していた。魚を捌き、切り身を陳列する仕事である。だが、その働き方は単なる定型作業者の水準を超えていた。行動心理学を心得ているかのような陳列、購買意欲を惹起する切り身の並べ方、客足を止めるほどの強い存在感をもつデコレーション。彼女はその業績により本社の表彰式に招かれ、金一封を受け取るほどの実績を示していた。

 ここで注目すべきは、病前の有能さが単なる作業能力ではなく、場全体の感情と行動を組織しうる能力として現れていた点である。彼女は魚売り場を、単なる商品配置の空間としてではなく、他者の視線、欲望、行動を読みつつ構成する場として扱っていた。そこには高度な創造性があり、同時に、自己の価値を外界への影響力によって支える様式も含まれていたと考えられる。

 したがって、昏迷に至った彼女の崩れ方は、単なる重症うつ病というだけでは捉えきれない。表彰されるほどに外界へ働きかけていた人間が、ある時点で自己同定すら失い、場所も居所も答えられなくなる。そこでは「落ち込んだ」というより、自己と世界の結節点そのものが断たれている。うつ病性昏迷とは、情動の重篤化にとどまらず、言語、時間、場所、自己がまとまりとして保持できなくなった状態である。

 ECT後の経過は良好であった。しかし、その後も数年おきに、軽度の抑うつ気分と思考・行動抑制が出現した。そのたびにクロミプラミン点滴で乗り切り、再び仕事を休まねばならないほどの重篤な病相へ至ることはなかった。ここで重要なのは、本人が再燃の機序を十分に理解していたことである。病相の出現は一貫して、仕事に対する使命感からタスクを抱え込み過ぎ、それが長期にわたって持続した後に起きていた。すなわち、彼女は自らがどのような条件で危うくなるかを知り、その危うさに対処できるようになっていた。

 最終的に彼女は個人事業主となり、魚料理を含む出張教室や販売を開始した。実績は順調である。この展開は示唆的である。スーパーという大きな組織の中で、他者の期待や売り場の論理に応答しつつ成果を上げていた彼女が、やがて自らの技術と感性を、自分により適した形式で社会に差し出す働き方へ移行したのである。扱う対象は変わっていない。変わったのは、働き方の構造である。

 本症例から得られる教訓は二重である。第一に、うつ病性昏迷のような生命危機的病態においては、適応があるならば急性期ECTを躊躇すべきではないということである。第二に、その後の長期予後を規定するのは、症状の寛解そのものだけではなく、患者が自らの再燃機序を理解し、それに即して仕事や生活の形式を作り替えられるかどうかである。

 彼女は当初、世界を失っていた。しかしECTによって、まず世界との接続そのものが回復した。その後の課題は、二度と揺らがないことではなかった。むしろ、自らの脆弱性を理解しつつ、それを抱えたまま持続可能な働き方へ移行することにあった。その意味で、本症例は急性期ECTの有効性を示すと同時に、回復とは単なる寛解ではなく、その後の人生の形式を再編成することだという事実を示している。

4. 自己価値構造の転換としての反復性うつ病 令和8年6月25日

 駆け出しの頃、私はある四十代のうつ病患者を担当した。彼は一流企業に勤め、同期の中でも出世頭であった。入院の一年前から上級医による外来治療が継続されていたが、自力で食事を摂ることすら困難となり、入院となった。最初の入院では、ベッドサイドでの食事介助から開始し、三か月で順調に軽快した。ところが一年後、彼は再び入院した。その後も同様の経過が続いた。年一回の入院が二回続き、さらに同期に出世で追い抜かれたことを契機に、私の制止を振り切って無理を重ね、八か月で再入院した。その後も八か月前後での再入院をさらに三回繰り返した。

 当時の私は、半ば本気で「うつ病は治らない。とくにプライドの高いうつ病は治らない」と考えていた。実際、同じ時期に診ていた別の三十代患者も、ほとんど同一の経過をたどっていたからである。入院すれば回復し、退院すれば再び壊れる。症状だけを見れば、反復性うつ病と呼ぶほかなかった。

しかし、後になって分かったのは、治っていなかったのはうつ病そのものではなく、彼が自分を支えていた自己価値構造の方だったということである。

 彼は単なる仕事人間ではなかった。仕事は人の何倍もこなし、残業も当然のように引き受けた。宴会となれば五次会まで残り、部下が帰るのを見届けてから自らも帰宅した。妻の両親と温泉に出かける際にも、立ち寄る場所や景色、食事処を綿密に計画し、相手が喜ぶであろう行程を抜かりなく組み立てた。職場でも家庭でも親族の前でも、彼は常に「期待される理想の自分」を先回りして構築し、それを実現することに心を砕いていたのである。

 つまり彼は、責任感が強い人という以上に、あらゆる場面で他者の期待を完璧に回収することによってしか自己を支えられない人だった。その意味で、彼のうつ病は単なる業務負荷の結果ではなく、「期待に応え続ける自分」であることに依存した自己価値構造の破綻として理解すべきものだった。入院で症状は軽快しても、退院後に戻る先が同じ構造である以上、病気は反復されるほかなかったのである。

 この構造を最初に崩したのは、医師ではなく妻の一言だった。彼女はある時、彼に向かって「クビにさえならなければいいから」と言った。この言葉は慰めではない。彼の価値尺度そのものを組み替える言葉であった。彼の世界では、出世するか脱落するか、評価されるか無価値か、期待に応えるか失敗するか、という二択しか存在していなかった。そこへ妻は、「首にならなければよい」という最低条件を提示した。それは目標を下げたのではない。むしろ「勝ち続けなくても存在していてよい」という存在論的許可だった。

 彼はその時、自分が「自己満足だけで生きてきた」と言った。この自己満足とは、通常の利己主義ではない。外から見れば彼はひたすら他者のために尽くしていた。しかしその底にあったのは、期待に応える自分、必要とされる自分、誰より気が利く自分であることへの満足であった。換言すれば、自己犠牲の仮面をかぶった自己愛である。彼は他者のために生きていたのではなく、他者にとって理想的な存在である自分を必要としていたのである。

 この自覚の後、彼は変わった。五次会まで残ることをやめ、部下を最後まで見届けることもやめ、舅姑への過剰なもてなしもやめた。仕事は五時までとし、それ以後も理想の自分を演じ続けることをやめた。症状が先に消えたのではない。病気を必要としていた生き方をやめたために、結果として薬は減り、やがて不要になったのである。あれほど多かった薬剤は一年でゼロとなり、その後再発はなかった。彼は無事に勤め上げ、第二の職場も淡々とこなし、現在は穏やかな老後生活を送っている。

 毎年届く年賀状には、ほぼ同じ文面が記されている。「先生のところには、俺と同じ奴が大勢行くだろう。彼らに時期を見て伝えてほしい。これは自己満足の病なんだぞと。おれは十年かかったが、辛い時期は短いほうがいいだろう。」この言葉は、彼が単に寛解したのではなく、自らの病を意味づけ直したことを示している。うつ病は彼にとって、脳内の不調というだけではなく、「期待に応え続けることでしか存在できない自己」の帰結だったのである。

 この症例が教えてくれたのは、次のことである。うつ病は治らないのではない。達成、優越、配慮、奉仕、期待への完全な応答によってしか自己を支えられない生き方が変わらない限り、うつ病は何度でも再発する。回復の核心は、症状の消失ではなく、「期待される自分」を演じ続けることをやめることにある。

 駆け出しの頃の私は、「プライドの高いうつ病は治らない」と考えていた。しかし、より正確には、他者の期待を上回って回収することでしか自己価値を感じられない人が、自分を支える基準を変えられない限り、治らないのである。そう理解した時、あの十年の反復は単なる失敗の連続ではなく、一人の人間が自己の構造を見抜き、それを手放すまでに必要だった時間として見えてきた。

3. 『普通の人々』と『アメリカン・ビューティ』——喪失と偽りの自己をめぐって 令和8年6月11日

 この二作を並べたとき、表面上の共通点は「機能不全家族」という言葉でくくられがちだ。しかしそれは少し雑な整理だと思う。

 『普通の人々』で精神科医バーガーが向き合っているのは、家族の病理というより、悲嘆の失敗である。母ベスは冷酷な人物として描かれているように見えるが、彼女は冷酷なのではなく、喪失に触れることができない。父カルヴィンは家族を守ろうとするあまり、感情そのものを回避してしまっている。コンラッドは、死んだ兄の代わりに生き続けることを強いられている。病理の核心は家族という制度の歪みよりも、喪失を経験した人間が感情を流せなくなったこと――そこにある。その意味でこの映画は家族療法の物語というよりも、悲嘆の映画と呼ぶべきだろう。

 では『アメリカン・ビューティ』は何の映画か。こちらでは奇妙なことが起きている。誰も、何を失ったのか分からない。しかし登場人物の全員が喪失感を抱えている。レスターは何かを失った感覚のなかで生きているが、その対象が見えない。キャロリンも、ジェーンも、フィッツ大佐も同じだ。精神分析の言葉を借りれば、これは対象喪失のない悲嘆であり、うつ病よりもメランコリー* に近い状態だ。悲しむべき対象がある『普通の人々』に対して、『アメリカン・ビューティ』では悲嘆が社会化し、拡散している。

 この二作を貫くもう一つの軸として、ウィニコットのfalse selfという概念が浮かび上がる。ウィニコットのいうfalse selfとは、他者の期待に適応するために形成された人格であり、本来の自己ではない。『普通の人々』ではベスがその典型だ。完璧な母、完璧な妻、完璧な中産階級の女性――しかし彼女自身の内側は空洞に近い。そして二十年後の『アメリカン・ビューティ』では、その空洞が一人の人物に留まらず、画面上の全員に広がっている。会社員を演じるレスター、成功した女性を演じるキャロリン、クールな若者を演じるジェーン、男らしい軍人を演じるフィッツ大佐(ベスの進化形)。誰もが役を生きており、誰も自分自身を生きていない。

 フィッツ大佐の悲劇について、同性愛者であることが原因だという読みは表層的だ。彼の悲劇は、自分自身を受け入れられないことにある。軍人、父親、保守主義者、愛国者――彼が積み上げた人格は、本来の自己を封じ込める牢獄になった。だから彼は崩れ始めたレスターに嫉妬する。レスターは少なくとも、何かが壊れ始めている。フィッツには崩れることすら許されない。

 この映画がフェミニズム批判だという解釈にも注意が必要だ。キャロリンは確かに成功至上主義の犠牲者として描かれている。しかしレスターもまた、筋トレ、スポーツカー、若い女性への欲望を通じて、資本主義の商品幻想に支配されている。映画が批判しているのは女性解放そのものではなく、市場化された自己である。男も女も同じ罠の中にいる、というのがこの映画の冷たい視線だ。

 最後に、二作に共通する到達点について触れておきたい。『普通の人々』においてバーガーの治療が目指したのは、コンラッドが泣けるようになること――本当の感情に触れることだった。『アメリカン・ビューティ』でレスターは死の直前、娘の幼い頃の映像を見て、人生の美しさを思い出す。あの瞬間だけ、彼は何も演じていない。精神医学の言葉を使えば、どちらの作品もauthentic self、真正な自己への回帰を描いている。喪失の形は異なり、false selfの広がり方も異なる。しかし両作品が最終的に向かう場所は同じだ。


*  対象喪失のない悲嘆――うつ病とメランコリーの違い

フロイトは1917年の論文「喪とメランコリー」で、この二つを対比させた。

 「喪(Trauer)」とは、明確な対象を失ったときの悲しみだ。人が死ぬ、関係が終わる、故郷を離れる――失ったものが何かははっきりしている。悲嘆のプロセスは苦しいが、時間をかけて対象への執着を少しずつ手放すことで、やがて現実に戻ることができる。

 「メランコリー(Melancholie)」はそうではない。喪失感はある。しかし何を失ったのか、本人にも分からない。フロイトの言葉では「何を失ったのかは分かっているが、何を失うことによってそうなったのかが分からない」。対象が意識に上らないまま、自我そのものが空洞化していく。だから単なる悲しみではなく、自己の崩壊感、虚無、自己批判として現れる。

 現代の臨床でいううつ病は、この区別をあまり問わない。症状の記述が中心だからだ。しかしフロイト的な意味でのメランコリーは、「何を悲しんでいるのか自分でも分からない」という構造を持っている点で、より深く自己の根拠を揺るがす。

 『アメリカン・ビューティ』の登場人物たちは、この意味でメランコリー的だ。レスターは「何かが違う」という感覚の中で生きているが、失ったものを指差せない。キャロリンの攻撃性も、フィッツの硬直も、喪失の対象を持たない苦しさが別の形で噴出したものとして読める。悲しめない、というより、何を悲しむべきかさえ分からない――それが彼らの根底にある状態だ。

 そしてこれは1990年代後半のアメリカという時代背景とも重なる。冷戦終結後の豊かさの中で、何かが失われたという感覚だけが漂っている。対象のない喪失感が社会に蔓延している、という映画の診断は、その点でかなり精密だと思う。

2. 「一人が好き」の裏にあるもの 令和6年6月7日

シュナイダー、DSM、ASD、シゾイド、シゾティミーの違いを体感レベルで整理する

 「孤独が好き」「他人にあまり興味がない」「こだわりが強い」──こうした特徴を持つ人は少なくありません。しかし、その背景にある「心の仕組み」は人によってまったく違います。ここを混同してしまうと、自分を深く知ることも、生きづらさの正体を理解することも難しくなります。

 今回は、ネット上でもしばしばごちゃ混ぜに語られる、シュナイダーの人格類型・DSMのパーソナリティ障害・ASD(自閉スペクトラム症)・シゾイド・シゾティミーを、できるだけ噛み砕いて整理してみます。精神医学の知識がなくても、「あ、自分はこの傾向に近いかもしれない」と直感的に理解できることを目指しました。

1.まずは視点を分ける──シュナイダーとDSMは何が違うのか

 精神医学には、大きく二つの人間理解の方法があります。

 古典精神医学の大家であるクルト・シュナイダーは、「この人は何病か」というラベル貼りにはあまり関心がありませんでした。彼が見ていたのは、「その人が生まれ持った人格の偏りによって、どのような人生上の摩擦を繰り返しているのか」です。無感情性人格・自己確信性人格・爆発性人格・ヒステリー性人格などは病名ではなく、その人の人生全体を貫く「人格のスタイル」です。

 一方、現代の精神科で広く使われるDSMの目的は、「どの医師が診ても診断が大きくぶれないようにすること」です。そのため、妄想性・シゾイド・自己愛性・境界性といったパーソナリティ障害をチェックリスト形式で分類します。

 極端に言えば、シュナイダーは「この人はどんな人か」を見ていた。DSMは「この人はどの診断カテゴリーに入るか」を見ている。まずこの違いを押さえておくと、その後の話が理解しやすくなります。

2.シゾイドとシゾティミーは何が違うのか

 どちらも内向的で一人を好み、感情表現が少ないという特徴がありますが、意味は違います。

 シゾイドはDSMの診断概念です。その特徴の中心は、「他者との親密な関係に強い魅力を感じにくい」ことです。一人で過ごすことを好み、雑談への関心が薄く、集団への所属欲求が弱い形で現れます。ただし重要なのは、シゾイドだからといって必ずしも「人が嫌い」なわけではないことです。精神分析的なシゾイド論では、「近づきたい気持ちと、近づくと消耗する感覚が同居している」と考えられることもあります。つまり「本当に人に興味がない人」だけでなく、「人との距離感に悩んだ結果として孤立を選ぶ人」も含まれるのです。

 シゾティミーはクレッチマーが提唱した古い気質概念で、障害ではありません。静かで内向的、感情表現が控えめで思索的といった性格傾向を指します。シゾイドが「診断概念」なのに対し、シゾティミーは「生まれ持ったキャラクターの傾向」です。

3.無感情性人格との違い

 シュナイダーの「無感情性人格」も、一見するとシゾイドに似ています。しかし本質は違います。

 シゾイドの問題の中心は、他者との情緒的接触への関心や動機づけの弱さです。それに対して無感情性人格の特徴は、他者を目的ではなく手段として扱いやすいことにあります。他者の苦しみを理解できないとは限りません。むしろ理解していても、それが行動の制約にならない。そこに特徴があります。シゾイドは「そもそく近づかない」、無感情性人格は「近づくことはできるが、相手の痛みが行動を止めない」と言えるでしょう。

4.ASDとの決定的な違い

 ネット上で最も混同されやすいのがASDです。外から見ると、一人で行動する・雑談が苦手・表情が少ない・集団が苦手など、シゾイドと非常によく似ています。しかし内側の仕組みは大きく異なります。

 ASDの中心は「社会的なルールや文脈を読む認知の特性」です。ASDの人の中には人と関わることを強く望む人もいれば、一人の時間を好む人もいます。共通しているのは「関わりたいかどうか」ではなく、「関係をどう読むか」の部分です。暗黙の了解、場の空気、相手の意図を読み取ることに独特の難しさがあります。

 ASDでは「関係の読み方が分からなくて疲れる」ことがある。シゾイドでは「関係そのものへの欲求が弱い」ことが多い。外から見ると同じ孤立でも、内側では全く違う体験が起きています。

5.自己確信性人格との違い

 シュナイダーの自己確信性人格も、ASDと混同されやすいタイプです。

 ASDでは、予定変更や曖昧さへの苦手さ、認知の切り替えの難しさから頑固に見えることがあります。その背景には、不安や予測不能性への弱さがあります。一方で自己確信性人格では、「自分が正しい」という信念そのものが人格の中心です。そのため反論は、情報としてではなく、自尊心や信念への攻撃として受け取られやすい。ASDは「不安ゆえの硬さ」、自己確信性人格は「確信ゆえの硬さ」と言えます。

6.指摘されたときの反応を見る

 自分の傾向を理解するひとつの手がかりになるのが、「何かを指摘された時、心の中で何が起きるか」を観察することです。

 例えば職場で、「もっと周囲とコミュニケーションを取ってください」と言われたとします。

 ASD傾向の人は、「そうだったんですか。具体的にはどうすればいいですか?」とルールの確認や修正に意識が向きます。シゾイド傾向の人は、「そこまで深く関わる必要がありますか?」と、関係への動機づけそのものが問われます。自己確信性人格では、「その考え方自体が間違っているのでは?」と、自分の正しさを守る方向へ向かいます。

 無感情性人格の場合は少し違います。反論や防衛よりも、相手の困惑や苦痛を認識しながらも、それが自分の行動を変える理由にならない、という構造があります。「なぜそれが問題になるのか」という問いが、感情的な防衛としてではなく、本当に分からない、あるいは分かっても関係ない、という形で出てくることがあります。

最後に

 「一人が好き」という言葉の裏には、実にさまざまな心理的背景があります。私たちはつい、ASD・パーソナリティ障害・シゾイドといったラベルで自分や他人を理解しようとします。しかし本当に大切なのは、診断名そのものではなく、「自分の内側で何が起きているのか」を理解することです。

 人との距離感が分からない人、人と関わると疲れる人、他者への関心そのものが薄い人、自分の信念を守ろうとしている人──外から見える行動は同じでも、内側で動いている心理機構はまったく違います。だからこそ、診断名だけで人を理解したつもりにならず、「その人はなぜそう振る舞うのか」という人格構造に目を向けることが大切なのです。

1. ブログ開設に当たって 令和8年6月1日

 日頃の診察では、私が依拠する考え方について、詳細に解説することが難しいので、ここに紹介していきたい。

 そもそも書いておきたいと思ったのは、私が敬愛するオックスフォードの学者二人がいて、コロナ禍の最中、彼らの発するsubstackを読んでいたことがきっかけだ。彼らはTom Jeffersonと Carl HeneghanでオックスフォードのCEBM(Centre for Evidence-Based Medicine )の助教授と教授。エビデンスという、コロナ以来濫用され尽くした業界用語だが、彼らはそのプロ中のプロである。

 で、毎度彼らの論考の最後には

This post was written by two old geezers who are nearing the end of the discovery road on F words and politics.とあって、これがとても気に入っている。

「この投稿は、”Fで始まる言葉と政治についての探求の旅も終盤に差しかかった、二人の年寄り爺さんによって書かれた。」

 そこで私も絶滅危惧種の精神科医として思うところを記していきたい。

 当ホームページの挨拶のページにある、推薦映画と図書の中、筆頭にOrdinary People 普通の人々を挙げた。ロバート・レッドフォード処女監督のこの作品について思うところを述べていきたい。

 アメリカ中産階級の普通の家庭を淡々と描いている作品。そこには派手なシーンはひとつもない。しかし、家族の食卓やリビングの空気だけで観客を息苦しくさせる。

 主人公はコンラッドで、彼はうつ病として精神病院入院の経験があり、そこで電気ショック療法を受けていたらしい。腕にはリストカットの跡が幾筋も見える。重症のうつ病患者として治療者側は見ていた。同級生の一人は精神科に対しての偏見を持って彼に接する。受け入れる仲間もいるが、彼は心を開けない。病院で一緒だった女子は、互いに分かり合えていると思っていたが、自殺する。彼女も彼もTrue Selfの叫びに耳が貸せないぐらいFalse Selfが自分を取り仕切っていた。仲間に対しても強がった自分を見せていた。こうした配置の中、コンラッドがメタモルフォーゼを起こすプロセスを主軸として描かれている。彼が女子高生に惹かれるシーンが、パッフェルベルのカノンとともに流れる。これが彼を希望へ繋ぐ兆しとして描かれている。

 ヨット事故で亡くなった彼が敬愛する兄。長男を亡くし、喪失に耐えられない人間として母親ベスが描かれている。コンラッドもこの家族の力学の中では、兄の喪失を悲しむより前に、自分が生き残ってしまった罪悪感を生きるほかなくなっていた。

 彼女は、最後に家を出る。そして父とコンラッド二人の生活が始まるところで終わる。

 コンラッドは、治療者との対話を通じて少しずつ自分の物語を語り始める。一方で家族は自分たちの物語を語れない。特にベスは自分を語れない。悲しみを言葉にできない。彼女が語ることができなければできないほど家族が壊れていく。ベスは変われなかった、愛せなかった、だから出て行った、という解釈も成り立つし一般的だろう。

 しかし、ベスは一貫して感情の欠如した人ではない。むしろ逆だ。感情が強すぎて触れられない。だから統制する。だから秩序を作る。だから完璧な家族を維持しようとする。彼女自身がFalse Self を生きていると言ってよかろう。良い妻、良い母、良い家庭、良い人生を維持することが、彼女のほとんど存在理由になっている。だから長男の死そのものよりも、その死によって自分が築いてきた世界が崩壊したことに耐えられない。終盤になると、彼女は少しずつ気づき始める、問題はコンラッドではなかった。問題は、自分がコンラッドを見ていなかったことだった。ベスは意図的に傷つけたわけではない。しかし、彼女が守ろうとした世界そのものが、コンラッドを窒息させていた。彼女は数年間、あるいは十数年間、息子を見ていなかったことになる。更に夫を見ていなかったことになる。自分が愛だと思っていたものが、相手には圧力として働いていたことになる。これは非常に重い認識だ。そして彼女はそれに気付いてしまった、謝罪なんかでは済まない、だから出て行かざるを得なかった。罪悪感が深いほど、かえって近づけなくなる。彼女は敗北したのではなく、初めて、人生で初めて現実を見たのだろう。再生の始まりだ。

True Self / False Self は、 Donald Winnicott が作った言葉。

ウィニコットにとって False Self は本来、周囲に適応するための人格、社会的仮面、生存戦略、防衛構造である。つまり「他者に合わせて形成された人格」である。

ベスは、元々の家族の中、学校、世間の中で今の家族で演じることになる人格を培って来たのだろう。

そして、推薦図書として挙げている、殊に古典小説では、ex.ドストエフスキーの登場人物になりきるという行為は、むしろ True Self 側の営みに近い面がある。社会適応のために読むのではなく、登場人物を通じて、自分の中に既にある葛藤を発見するから。つまり「人格を装着する」のではなく、「人格の可能性を発掘する」作業である。そして、小説の中で様々な人物と関わっていくのだが、この空間こそ移行空間である。


令和5年1月1日開設のクリニックです。

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