クリニック・ネオ  Klinik Neo

論考

まえがき 令和8年7月7日

さて、これから長い文章を書くことになります。全部で12章ほどになる予定です。順次お付き合いください。執筆途中、ふと思いついたテーマで書くこともありますから、中断しながらになります。



 精神科医になって実に長い年月が過ぎた。私は、その間ずっと精神医学の中にいた。

 大学の医局にいた。地方病院にいた。町医者にもなった。学会にも通った。製薬企業のMRとも議論した。新しい薬が発売されるたびに期待し、時には失望した。

 患者とともに喜び、患者とともに迷った。振り返れば、私は精神医学の大きな転換点をいくつも経験してきた。抗うつ薬が変わった。診断が変わった。精神療法が変わった。社会が精神医学を見る目も変わった。

 そして新型コロナウイルス感染症は、精神医学だけでなく、医療そのものの姿を改めて問い直す契機となった。

 私は、この論考で誰かを裁こうとは思わない。製薬企業を断罪したいわけでもない。行政を非難したいわけでもない。学会を攻撃したいわけでもない。むしろ、その逆である。

 私は、患者を救おうと真剣に努力してきた数多の同僚を知っている。大学教授も、勤務医も、開業医も、看護師も、薬剤師も、行政担当者も、皆それぞれの立場で患者の利益を願っていた。

 だからこそ、不思議だった。なぜ、これほど多くの善意が集まりながら、時に精神医学は大切なものを見失うのだろう。

 その問いが、この論考を書く出発点になった。本書は、パキシルについての本ではない。COVID-19についての本でもない。利益相反についての本でもない。これらはすべて、一つの問いへ至るための入り口である。

 精神医学は、何を守るために存在するのか。長い臨床の中で、私は一つのことを患者から教えられた。

 治療とは、症状を消すことではない。人間の尊厳を取り戻すことである。

 患者は、私の教えを受ける人ではなかった。患者は、私に精神医学を教えてくれた人だった。

 だから、この本は回想録ではない。歴史書でもない。

 一人の精神科医が、観察し、迷いながら、関与してきた長年に渡るの思索の記録である。もし読者が本書を読み終えた時、私の結論に賛成する必要はない。

 ただ一つ、自分自身に問いを持ち帰っていただけたなら、それで十分である。

 精神医学は、正しい答えを持つ学問ではない。正しい問いを失わない学問である。

9. 反精神医学と救済妄想 令和8年7月5日

 1970年代の反精神医学は、実際に精神病院の閉鎖病棟や隔離処遇と格闘していた。ところが現在の後継者たちは、その闘争の歴史的文脈を離れ、反体制そのものがアイデンティティ化しているように見える。だから「いったい今は何と闘っているのか」が見えにくくなる。そこに、「残党感」がある。

 精神科医療の現場はこの4050年でかなり変わった。しかし運動の側は、ときに1975年の敵を2026年にも追い続けているように見えることがある。当時の医局紛争や病者集団を実際に見てきた世代ほど、その歴史的なズレを強く感じるだろう。

 タヴィストックの星と言われた俊英R.D.レインは本来、非常に鋭い臨床観察者だった。特に家族内コミュニケーション、ダブルバインド、偽装された正常性、親密圏の中の暴力性を描く筆致は、今読んでも凄みがある。しかし、彼は途中から、突如、統合失調症は病ではなく、疎外された近代人が通過する実存的変容であると言い出した。60年代後半にはLSDを精神病理解の手段として研究。直接的な接触はないが、ここにオルダス・ハックスリー的な神秘主義、反近代、意識拡張、エリート的選民思想が重なる。狂気を「破綻」ではなく「覚醒への旅」と読み替える誘惑だ*

 臨床現場では、統合失調症は、恐怖、断片化、被害妄想、自我境界の崩壊、生活能力の破綻、家族の疲弊を伴う。そこに「超越へのプロセス」という物語をかぶせると、患者本人の苦痛も、支援者の限界も、現実のケアの必要性も見えなくなる。キングスレー・ホールの実験が象徴的である。キングスレー・ホール(Kingsley Hall**は、1965年から1970年まで、R. D. レインと仲間たちが運営した、精神医学史上もっとも有名な実験的治療共同体の一つ。レインは、統合失調症などの精神病状態を単なる脳疾患ではなく、人間存在の危機として理解しようとした。キングスレー・ホールでは、精神病院に入院させない、身体拘束をしない、原則として向精神薬を使わない、医師と患者という上下関係をできるだけ解体する、一つの共同生活の中で「狂気の旅(voyage)」を見守るという当時としては極めて急進的な試みが行われた

 レインは有名な言葉として「狂気は、狂った世界への合理的な反応である」という趣旨を繰り返し述べている。

 彼は精神病を、家族関係、ダブルバインド、実存的不安、自己の分裂から理解しようとした。これはヤスパースやビンスワンがー、ミンコフスキーなど現象学精神医学の流れを強く受けている。理想は、患者を病院から解放し、共同体の中で狂気を生き切らせるだった。しかし実際には、共同体は消耗し、境界設定は崩れ、レイン自身もアルコールと自己崩壊に傾いていった。レインの偉大さは、精神病を単なる脳疾患としてではなく、家族・社会・実存の文脈で読もうとしたこと。レインの限界は、精神病の破壊性と医療的介入の必要性を、反体制ロマンの中で過小評価したこと。つまり彼は、狂気を管理対象に貶める精神医学への反抗として出発し、最後は狂気を美化しすぎて、患者の現実から離れてしまったレインを単なる反精神医学の英雄として読むより、「精神医療の限界を誰よりも真剣に見た人間」として読む方が、本質に近いだろう。

 レインが若い頃に見ていたのは、ロボトミー、長期隔離、大量投薬、人間を症状としてしか見ない精神医学だった。彼はそこで、「我々はいったい何を治しているのか」という問いに取り憑かれた。そして恐らく、精神病者の苦悩だけでなく、治せない自分自身の無力を見てしまった。だから彼の文章には、普通の精神科医にはない切迫感がある。『引き裂かれた自己』などを読むと、統合失調症患者の内面をここまで理解しようとした精神科医は稀だ。しかしその深い共感が、やがて「病ではない」「変容の旅だ」という方向に傾いていく。ある意味では、治療不能性に対する絶望への防衛だったのかもしれない。ヤスパースもまた精神科医として出発した。しかし彼は、精神病の意味は理解できても、
精神病そのものを超克することはできないという壁にぶつかった。そして彼はそこで、医学ではなく哲学の問題だと考えた。『精神病理学総論』を読むと、患者を理解しようとする情熱はレインに負けていない。しかし最後には、理解可能なものと理解不可能なものがあるというところで踏みとどまる。ある意味では諦念です。レインにはその諦念がなかった。彼は最後までもっと深く理解できるはずだもっと自由になれるはずだと信じた。だからキングスレー・ホールに行き着く。しかし共同体は精神病を救済しなかった。むしろ共同体そのものが精神病理に巻き込まれていった。レインにも哲学に逃げてほしかった。哲学への逃避は、敗北の形式としてはかなり高貴なものだ。ヤスパースは「人間には限界がある」という地点で立ち止まった。レインは「限界を超えられる」と信じ続けた。結果として、ヤスパースは思想家として成熟し、レインは預言者になろうとして燃え尽きた。レインの悲劇は、狂気を恐れなかったことではなく、狂気の深淵を覗き込み続けた末に、自分もまたその深淵に魅了されてしまったこと。

* ハックスリーがサイケデリックドラッグに接近、カナダのサスカチュワン研究所のハンフリー・オズモンドと親交を得る。ハンフリー・オズモンドこそ、ハックスリーとの間でサイケデリックという言葉を用いることを考案した人で、昨今一部で騒がれているアドレノクロム仮説を信じて、アルコホリックの治療に使われていたナイアシンを統合失調症に用いた。彼はハックスリーにメスカリンを提供、ハックスリーは「天国への扉」を著す。ダーウィンのブルドッグと称された、トマス・ハックスリーはオルダスハックスリーの祖父。そしてトランスヒューマニズムを唱えたのは、ジュリアン・ハックスリー、オルダスの兄。オルダスはマッドサイエンティストとして名高いティモシー・リアリーとも接近、アルコホリクス・アノニマスの創始者、ビル・ウイルソンはLSD体験し、オルダスと親交。ビルは断酒に神秘的体験が必要と確信していたが、オルダスの仲介でハンフリー・オズモンドの同僚のエイブラハム・ホッファーと会い、アルコール依存症に対してナイアシンが離脱後うつ病だけでなく飲酒欲求、孤立感、寂寥感、不安に有効ということを知り、自ら服用して劇的に改善した。

** レインのキングスレー・ホールは「狂気の旅を非医療的共同体で通過させる場」だった。キングスレー・ホールは、196570年にPhiladelphia Associationが運営した共同体で、精神病を病院・薬物・拘束から切り離し、「意味ある狂気」として受け止めようとした。レインは治療構造そのものを疑った。その結果、患者の主体性は最大化されたが、治療者の責任境界も曖昧になった。キングスレー・ホールは「精神病体験を制度外で生き切らせる思想的実験」であった。

8. 虚ろな目 令和8年7月3日

 病院の予約は午後からだったが、こういう時は動けるうちに行かなければと思った。病院までは徒歩5分ほどだったが、既に気分は相当悪く、雪道を歩きながらタクシーを呼べばよかったと後悔した。看護婦さんに「やっちゃったかも知れません。」と唐突に話した。こういうことは初めてではないので、看護婦さんの対処も早い。

 「いつ頃何を飲んだか分からない?」「すみません、飲んだかどうかも・・・ただ凄く気分が悪くて。」自分の意思で行う大量服薬と違って、私のような別人格での薬物中毒はたちが悪い。何を、いつ、どれくらい飲んだかさっぱり分からないからだ。薬物によっては胃洗浄が逆効果のものもある。そうなると下手な処置はできない。

 結局私は処置室に寝かされて、点滴をして様子を見ることになった。しばらくすると猛烈な吐き気が襲ってきた。歩いて1分ほどのトイレがものすごく遠く感じられ、一度入ると今度は処置室に戻れなくなった。パブロンなんかを大量服薬すると黄色い嘔吐物になるが、今回はおにぎり以外は無色透明であった。薬は飲んでいないんだろうか。

 しかしみるみる体調は悪くなった。大量服薬と断定して、血中濃度を下げるための大量点滴が始まった。利尿剤で排出を促すために、具合は悪いが横になることもできず、トイレと処置室をよろよろと往復した。何も知らずに様子を見に来た夫は、またやったかみたいなあきれ顔だった。そして自業自得だという目で私を見下ろしつつも、一応付き添ってくれた。

 その日はいったん帰宅を許された。しかし私は一晩中気分が悪く、トイレでひたすら空吐きしていた。後で分かったことだが、カプセルの総合感冒薬とバファリンを合わせて140錠も飲んでいた。病院の安定剤と違いかなりの大きさと量なので、常識的に考えても飲むのは相当大変なはずだった。風邪薬と分かれば肝機能障害が疑われる。

 次の日は朝から来いと言われていたが、あまりの具合の悪さにたどり着けなかった。午後にようやく到着し、すぐに血液検査と大量の点滴投与が行われた。処置室のベッドは点滴の患者で一杯だった。私は一番奥のベッドでカーテンを引かれ、隔離された状態の中、少し具合の悪さから解放されて深い眠りに落ちた。

 どれくらい時間がたっただろうか、ふと目を開けて私は驚いた。カーテンは開けられていた。そして隣のベッドで主治医が腰をかけて、子供みたいに足をぶらぶらしていた。虚ろな疲れ切った目で、熟睡している私をじっと見ていた。診察時間はとっくに終わり、看護婦さんも他の医師もみんな帰った後だった。主治医は私を起こさずにじっと待っていてくれた。

 「お目覚めですか。」と言ってベッドを降りる。「もう大丈夫だと思うよ。帰ろうか。」主治医が愛想笑いの一つもしてくれなかったので、私は非常に心苦しく思いながらよろよろ靴を履いて立ち上がった。私たちは無言のまま処置室を出て、正面玄関も閉まっていたので救急搬送口から帰ることにした。「すみませんでした。」という私の言葉にも無反応だった。

 他人に熟睡している顔を観察されるのは恥ずかしい。しかしそういう問題じゃない。大量服薬して目を覚まさない私を、主治医はどんな気持ちで見守っていたんだろう。私は以前主治医がこんなことを言っていたのを思い出していた。「患者が大量服薬したりすると、医者をやめようかなと本気で思うよ。」

 あの虚ろな目にはいろんな意味を感じる。私の愚かさを嘆くようにも見えたし、命のともしびを眺めているようにも見えたし、あるいは、医者としての無力さを感じているようにも見えた。医者として見守ることしかできないというのは、一体どれほど苦しいものだろうか。治療しても治療しても、死に向かう患者を見つめる気持ちは。

 不毛とも思える治療に疲れるのは、患者だけではなく医者も同じことだ。ただ、医者はそれでもあきらめることを許されない。方法がないとしても、投げ出すことは許されない。その患者が死んでいくとして、為す術がなくても、そこから目をそらすことは許されない。私以上に辛いかも知れない。

 時折浅い眠りにつきふと目を覚ました時に、そこに足をぶらつかせた主治医師がいるような気がする。くたくたに疲れて虚ろな目で、私をじっと見ている気がする瞬間がある。あの虚ろな目の向こう側には、私の抱える闇以上に、深くて救われそうにないものを感じる。もしかすると、深い海の底に沈んだ車の中でもがく私を、同じく沈んだ車の中から主治医が見ているんじゃないかとさえ思う。


前項の同じ人が大分経ってから送ってきた文章。主治医が決して救世主ではなく、同じように苦悩する存在であることを感得した、それを伝えてくれた。主治医は点滴の指示を出すだけで、ただ疲れ切った顔で、本人が目覚めるのをぼーっと見ている。治療はしていない。本人の強靭さと洞察の深さに感銘。
対象の脱理想化と実在化を果たしている。

7. 一台の車が沈んでいます 令和8年7月2日

私は車ごと海に転落しました。逃げだそうと必死ですが窓もドアも開きません。

 やがてレスキュー隊がやってきました。

「大丈夫ですよー必ず助かりますからまず落ち着いてくださいー」

「大丈夫じゃねーよ!レスキューだったら早く助けろよ!」

「それは無理です。自力で脱出してください。」

「開かないんだよー!」

「まあまあ落ち着いて。それは水圧がかかっているからです。

いいですか、よ~く聞いて。これから車の中に水が入ってきます。

車内の空気が完全になくなるとドアが開きますから」


やがて知らせを聞いた彼がやってきました。

どんな声をかけても私はパニックで聞き入れません。

自分に何ができるだろうかと考えたが分かりません。

そこでレスキュー隊員にたずねました。

「あなたは家で部屋を暖めて待っていてください。」

自分にできることはそれしかないと確信して、彼は海をあとにしました。

なおも私は暴れています。

この状況は全く大丈夫なんかじゃあないと思っています。

生への執念は凄まじく、

こんな力がどこにあったのかというくらいの勢いです。

しかしドアは開きません。

やがて疲れてくると、諦めの空気が漂います。

どうして車に乗ったんだろう。

どうして海に落ちたんだろう。

どうしてレスキュー隊は助けてくれないのだろう。

どうして彼は私を置いて帰ったのだろう。

後の教訓にはなりますが、

それはあくまで助かってからのこと。

今はそんなことを考えても脱出することはできないと、

私は本当は気がついています。

疲れたことが功を奏して、

私は少し落ち着きを取り戻しつつあります。

あのレスキュー隊員はプロに違いない。

今までにも同じような状況の人間を救ってきているのだから、

ここは彼らの言うことを信じてみるしかないかもしれない。

何より私は脱出する術を持たない。

ここで無駄な体力を消費してはあとで大変だ。

私は生への道をレスキュー隊に任せたのでした。

水がどんどん車内に入ってきて、

残りの空気もわずかになりました。

あとは私の勇気と体力次第です。


ところがここにきて私に妙な考えが浮かびました。

あのレスキュー隊は本当に私を助けたいと思っているだろうか。

だいたいどんな奴らか知れたモンじゃないし、

私のことだって分かっちゃいない。

何も知らない人に私は命を預けてる?

私は一体何をしているんだろう。

それにもし仮に彼らの言うことが正しかったとしても、

ドアが開くとは限らない。

私の息が続くかどうかも分からない。

車がどこまで沈んでいるかも分からないから、

もしかすると泳ぎ切れないかも知れない。

密室の中で死の恐怖が全身を蝕んでいきます。


助かりたい、助けて欲しいのに誰も信じられない。

私は私自身の力でこの扉を開けて深い海の底から空を目指さなければならないのに、

その勇気がなくてただじっと震えてここに留まっています。

自分は自分の力で助かるしかないが、何故助かりたいのだろうか。

生き物だから本能で生命を保とうとしているのだろうか。

この心臓が動いてさえいればいいと言うのか。

私が求めるものはそういうものなのだろうか。

泳ぎ切ったその先に、私の信じられる人がいなかったら。

そんな世界に私は生きていたいのだろうか。


この車の中は偽善も嘘もない孤独だけれど真実だけの世界。

私が最後に考えること。

この車はどんどん沈んでいき、ドアは外から開けることはできない、

そうと知っていても暗くて冷たい海に飛び込んで、

私を助けようとしてくれる人が私にはいなかったということ。

そんな人はこの世にいないかも知れないがいると信じて生きてみたかったのです。

これが現実、これが真実。

それは私にそれだけの価値がない人間だったということの証でもあります。

今は恐怖よりも悲しみよりも寂しさよりも怒りよりも、

ただ自分自身への虚しさを感じています。


泳ぎ切った私を受け入れてくれる人がいても、

沈んでいく私を追いかける人は誰もいませんでした。



当時、万策尽きて治療が座礁していた頃、本人から送られてきた直筆の手紙。綺麗な字で、迷いなく一気に書かれた文章。本人の絶対的孤独と治療者との関係を突き付けて来た。本人の内奥をどうやって理解しようかと、改めて鼓舞された。

6. トラウマを人格構造の中に組み入れた者の自己破壊的テスティング――「理解者」を失わせる逆説 令和8年7月1日

 幼少期の虐待やネグレクトを経験した者の多くは、「人は信用できない」「親密になると傷つく」という記憶を抱えて生きている。しかし、その外傷体験が人格構造の中核にまで組み込まれると、それは単なる「過去の記憶」ではなく、「人間関係とは本来そういうものだ」という世界理解そのものへと変化する。

 斯様な人は、誰よりも切実に理解者を求めながら、皮肉にも理解者との関係を自ら破壊してしまう。その中心にあるのが、自己破壊的なテスティングである。

 テスティングとは、もともと、「本当に自分を見捨てないのか」「最後まで味方でいてくれるのか」を確認するための行動である。しかし、それは言葉による確認にとどまらず、四六時中自分に関心を向け続けることを求め、相手を限界まで追い詰めるという形を取ることが少なくない。

 愛する人に対するテスティングは、関係そのものを摩耗させていく。同時に、治療者に対しても同様のテスティングがおずおずと試みられるが、それは奏功しない。本来であれば、テスティングが通用しないこと――治療者が揺らがず、見捨てもしないこと――は、安全基地としての治療構造を裏づけるはずである。しかし患者はこれを逆に読み替え、「テスティングに応じてもらえない」ことを「自分を信じてもらえていない」証拠とみなし、治療者への不信感に転じる。かくして、確認のための行為であったはずのテスティングは、治療者を加害者に位置付け、その帰結として患者自身が治療関係を離脱して行くことになる。しかしながら、このことは、少なくとも現実が人格構造へ介入する契機が生まれたと言える。

 外傷体験が人格構造へ組み込まれると、人は最も信頼したい相手ほど激しく試し、最も理解してほしい相手ほど加害者の位置へ追い込み、結果として「やはり私は被害者だった」という世界観を再確認してしまう。

 その意味で、自己破壊的テスティングとは、愛情を失うための行為ではない。愛情を確かめようとする試みそのものが、愛情を破壊してしまうという、極めて悲劇的な対人関係の力動なのである。
 
 本人の人格構造は、父親との外傷体験だけでは形成されない。母親の罪悪感を媒介とした相互作用によって精緻化され、その後は治療者との関係の中でも同じ構造が再演・洗練され続けた。

5. うつ病性昏迷に対する急性期ECTと長期予後――ある女性症例 令和8年6月27日

 彼が治療現場から解放されて十年ほど経過したころ、別のうつ病患者が現れた。初診時三十五歳の女性である。不眠のため近隣の内科で睡眠薬を処方されていたが、正体の知れない状態が持続し、夫に伴われて受診した。彼女は発語こそ可能であったが、やや複雑な問いになると応答できず、自己同定、場所の見当識、居住地の想起すら困難であった。夫は痴呆の発症を危惧していた。

 診察時に把握されたのは、単なる抑うつ気分ではなく、自己定位、対話の成立、時間・場所の枠組みが広く損なわれた状態であった。私は直ちにクロミプラミンおよびジアゼパムの点滴を施行したが反応はなく、翌日も同様の試みを行ったが改善は認められなかった。生命危機的状態へ移行する可能性の高いうつ病性昏迷と判断し、電気けいれん療法を選択した。

 うつ病性昏迷は、精神科臨床における明白な生命危機的状況であり、悠長な薬物療法の経過観察に委ねてよい病態ではない。大学病院在職中、私は内因性精神病の急性期から慢性期増悪までECTを施行してきたが、少なくとも臨床印象として、急性期に導入した場合の方が予後は良好であると感じていた。本症例は初発のうつ病昏迷であり、その意味でもECTの適応は明確であった。計十五回施行し、彼女は寛解した。ただし、治療期間中および受診前三か月の記憶は、ほとんど失われていた。

 病前、彼女は全国チェーンのスーパーの生鮮食料品売り場で勤務していた。魚を捌き、切り身を陳列する仕事である。だが、その働き方は単なる定型作業者の水準を超えていた。行動心理学を心得ているかのような陳列、購買意欲を惹起する切り身の並べ方、客足を止めるほどの強い存在感をもつデコレーション。彼女はその業績により本社の表彰式に招かれ、金一封を受け取るほどの実績を示していた。

 ここで注目すべきは、病前の有能さが単なる作業能力ではなく、場全体の感情と行動を組織しうる能力として現れていた点である。彼女は魚売り場を、単なる商品配置の空間としてではなく、他者の視線、欲望、行動を読みつつ構成する場として扱っていた。そこには高度な創造性があり、同時に、自己の価値を外界への影響力によって支える様式も含まれていたと考えられる。

 したがって、昏迷に至った彼女の崩れ方は、単なる重症うつ病というだけでは捉えきれない。表彰されるほどに外界へ働きかけていた人間が、ある時点で自己同定すら失い、場所も居所も答えられなくなる。そこでは「落ち込んだ」というより、自己と世界の結節点そのものが断たれている。うつ病性昏迷とは、情動の重篤化にとどまらず、言語、時間、場所、自己がまとまりとして保持できなくなった状態である。

 ECT後の経過は良好であった。しかし、その後も数年おきに、軽度の抑うつ気分と思考・行動抑制が出現した。そのたびにクロミプラミン点滴で乗り切り、再び仕事を休まねばならないほどの重篤な病相へ至ることはなかった。ここで重要なのは、本人が再燃の機序を十分に理解していたことである。病相の出現は一貫して、仕事に対する使命感からタスクを抱え込み過ぎ、それが長期にわたって持続した後に起きていた。すなわち、彼女は自らがどのような条件で危うくなるかを知り、その危うさに対処できるようになっていた。

 最終的に彼女は個人事業主となり、魚料理を含む出張教室や販売を開始した。実績は順調である。この展開は示唆的である。スーパーという大きな組織の中で、他者の期待や売り場の論理に応答しつつ成果を上げていた彼女が、やがて自らの技術と感性を、自分により適した形式で社会に差し出す働き方へ移行したのである。扱う対象は変わっていない。変わったのは、働き方の構造である。

 本症例から得られる教訓は二重である。第一に、うつ病性昏迷のような生命危機的病態においては、適応があるならば急性期ECTを躊躇すべきではないということである。第二に、その後の長期予後を規定するのは、症状の寛解そのものだけではなく、患者が自らの再燃機序を理解し、それに即して仕事や生活の形式を作り替えられるかどうかである。

 彼女は当初、世界を失っていた。しかしECTによって、まず世界との接続そのものが回復した。その後の課題は、二度と揺らがないことではなかった。むしろ、自らの脆弱性を理解しつつ、それを抱えたまま持続可能な働き方へ移行することにあった。その意味で、本症例は急性期ECTの有効性を示すと同時に、回復とは単なる寛解ではなく、その後の人生の形式を再編成することだという事実を示している。

4. 自己価値構造の転換としての反復性うつ病 令和8年6月25日

 駆け出しの頃、私はある四十代のうつ病患者を担当した。彼は一流企業に勤め、同期の中でも出世頭であった。入院の一年前から上級医による外来治療が継続されていたが、自力で食事を摂ることすら困難となり、入院となった。最初の入院では、ベッドサイドでの食事介助から開始し、三か月で順調に軽快した。ところが一年後、彼は再び入院した。その後も同様の経過が続いた。年一回の入院が二回続き、さらに同期に出世で追い抜かれたことを契機に、私の制止を振り切って無理を重ね、八か月で再入院した。その後も八か月前後での再入院をさらに三回繰り返した。

 当時の私は、半ば本気で「うつ病は治らない。とくにプライドの高いうつ病は治らない」と考えていた。実際、同じ時期に診ていた別の三十代患者も、ほとんど同一の経過をたどっていたからである。入院すれば回復し、退院すれば再び壊れる。症状だけを見れば、反復性うつ病と呼ぶほかなかった。

しかし、後になって分かったのは、治っていなかったのはうつ病そのものではなく、彼が自分を支えていた自己価値構造の方だったということである。

 彼は単なる仕事人間ではなかった。仕事は人の何倍もこなし、残業も当然のように引き受けた。宴会となれば五次会まで残り、部下が帰るのを見届けてから自らも帰宅した。妻の両親と温泉に出かける際にも、立ち寄る場所や景色、食事処を綿密に計画し、相手が喜ぶであろう行程を抜かりなく組み立てた。職場でも家庭でも親族の前でも、彼は常に「期待される理想の自分」を先回りして構築し、それを実現することに心を砕いていたのである。

 つまり彼は、責任感が強い人という以上に、あらゆる場面で他者の期待を完璧に回収することによってしか自己を支えられない人だった。その意味で、彼のうつ病は単なる業務負荷の結果ではなく、「期待に応え続ける自分」であることに依存した自己価値構造の破綻として理解すべきものだった。入院で症状は軽快しても、退院後に戻る先が同じ構造である以上、病気は反復されるほかなかったのである。

 この構造を最初に崩したのは、医師ではなく妻の一言だった。彼女はある時、彼に向かって「クビにさえならなければいいから」と言った。この言葉は慰めではない。彼の価値尺度そのものを組み替える言葉であった。彼の世界では、出世するか脱落するか、評価されるか無価値か、期待に応えるか失敗するか、という二択しか存在していなかった。そこへ妻は、「首にならなければよい」という最低条件を提示した。それは目標を下げたのではない。むしろ「勝ち続けなくても存在していてよい」という存在論的許可だった。

 彼はその時、自分が「自己満足だけで生きてきた」と言った。この自己満足とは、通常の利己主義ではない。外から見れば彼はひたすら他者のために尽くしていた。しかしその底にあったのは、期待に応える自分、必要とされる自分、誰より気が利く自分であることへの満足であった。換言すれば、自己犠牲の仮面をかぶった自己愛である。彼は他者のために生きていたのではなく、他者にとって理想的な存在である自分を必要としていたのである。

 この自覚の後、彼は変わった。五次会まで残ることをやめ、部下を最後まで見届けることもやめ、舅姑への過剰なもてなしもやめた。仕事は五時までとし、それ以後も理想の自分を演じ続けることをやめた。症状が先に消えたのではない。病気を必要としていた生き方をやめたために、結果として薬は減り、やがて不要になったのである。あれほど多かった薬剤は一年でゼロとなり、その後再発はなかった。彼は無事に勤め上げ、第二の職場も淡々とこなし、現在は穏やかな老後生活を送っている。

 毎年届く年賀状には、ほぼ同じ文面が記されている。「先生のところには、俺と同じ奴が大勢行くだろう。彼らに時期を見て伝えてほしい。これは自己満足の病なんだぞと。おれは十年かかったが、辛い時期は短いほうがいいだろう。」この言葉は、彼が単に寛解したのではなく、自らの病を意味づけ直したことを示している。うつ病は彼にとって、脳内の不調というだけではなく、「期待に応え続けることでしか存在できない自己」の帰結だったのである。

 この症例が教えてくれたのは、次のことである。うつ病は治らないのではない。達成、優越、配慮、奉仕、期待への完全な応答によってしか自己を支えられない生き方が変わらない限り、うつ病は何度でも再発する。回復の核心は、症状の消失ではなく、「期待される自分」を演じ続けることをやめることにある。

 駆け出しの頃の私は、「プライドの高いうつ病は治らない」と考えていた。しかし、より正確には、他者の期待を上回って回収することでしか自己価値を感じられない人が、自分を支える基準を変えられない限り、治らないのである。そう理解した時、あの十年の反復は単なる失敗の連続ではなく、一人の人間が自己の構造を見抜き、それを手放すまでに必要だった時間として見えてきた。

3. 『普通の人々』と『アメリカン・ビューティ』——喪失と偽りの自己をめぐって 令和8年6月11日

 この二作を並べたとき、表面上の共通点は「機能不全家族」という言葉でくくられがちだ。しかしそれは少し雑な整理だと思う。

 『普通の人々』で精神科医バーガーが向き合っているのは、家族の病理というより、悲嘆の失敗である。母ベスは冷酷な人物として描かれているように見えるが、彼女は冷酷なのではなく、喪失に触れることができない。父カルヴィンは家族を守ろうとするあまり、感情そのものを回避してしまっている。コンラッドは、死んだ兄の代わりに生き続けることを強いられている。病理の核心は家族という制度の歪みよりも、喪失を経験した人間が感情を流せなくなったこと――そこにある。その意味でこの映画は家族療法の物語というよりも、悲嘆の映画と呼ぶべきだろう。

 では『アメリカン・ビューティ』は何の映画か。こちらでは奇妙なことが起きている。誰も、何を失ったのか分からない。しかし登場人物の全員が喪失感を抱えている。レスターは何かを失った感覚のなかで生きているが、その対象が見えない。キャロリンも、ジェーンも、フィッツ大佐も同じだ。精神分析の言葉を借りれば、これは対象喪失のない悲嘆であり、うつ病よりもメランコリー* に近い状態だ。悲しむべき対象がある『普通の人々』に対して、『アメリカン・ビューティ』では悲嘆が社会化し、拡散している。

 この二作を貫くもう一つの軸として、ウィニコットのfalse selfという概念が浮かび上がる。ウィニコットのいうfalse selfとは、他者の期待に適応するために形成された人格であり、本来の自己ではない。『普通の人々』ではベスがその典型だ。完璧な母、完璧な妻、完璧な中産階級の女性――しかし彼女自身の内側は空洞に近い。そして二十年後の『アメリカン・ビューティ』では、その空洞が一人の人物に留まらず、画面上の全員に広がっている。会社員を演じるレスター、成功した女性を演じるキャロリン、クールな若者を演じるジェーン、男らしい軍人を演じるフィッツ大佐(ベスの進化形)。誰もが役を生きており、誰も自分自身を生きていない。

 フィッツ大佐の悲劇について、同性愛者であることが原因だという読みは表層的だ。彼の悲劇は、自分自身を受け入れられないことにある。軍人、父親、保守主義者、愛国者――彼が積み上げた人格は、本来の自己を封じ込める牢獄になった。だから彼は崩れ始めたレスターに嫉妬する。レスターは少なくとも、何かが壊れ始めている。フィッツには崩れることすら許されない。

 この映画がフェミニズム批判だという解釈にも注意が必要だ。キャロリンは確かに成功至上主義の犠牲者として描かれている。しかしレスターもまた、筋トレ、スポーツカー、若い女性への欲望を通じて、資本主義の商品幻想に支配されている。映画が批判しているのは女性解放そのものではなく、市場化された自己である。男も女も同じ罠の中にいる、というのがこの映画の冷たい視線だ。

 最後に、二作に共通する到達点について触れておきたい。『普通の人々』においてバーガーの治療が目指したのは、コンラッドが泣けるようになること――本当の感情に触れることだった。『アメリカン・ビューティ』でレスターは死の直前、娘の幼い頃の映像を見て、人生の美しさを思い出す。あの瞬間だけ、彼は何も演じていない。精神医学の言葉を使えば、どちらの作品もauthentic self、真正な自己への回帰を描いている。喪失の形は異なり、false selfの広がり方も異なる。しかし両作品が最終的に向かう場所は同じだ。


*  対象喪失のない悲嘆――うつ病とメランコリーの違い

フロイトは1917年の論文「喪とメランコリー」で、この二つを対比させた。

 「喪(Trauer)」とは、明確な対象を失ったときの悲しみだ。人が死ぬ、関係が終わる、故郷を離れる――失ったものが何かははっきりしている。悲嘆のプロセスは苦しいが、時間をかけて対象への執着を少しずつ手放すことで、やがて現実に戻ることができる。

 「メランコリー(Melancholie)」はそうではない。喪失感はある。しかし何を失ったのか、本人にも分からない。フロイトの言葉では「何を失ったのかは分かっているが、何を失うことによってそうなったのかが分からない」。対象が意識に上らないまま、自我そのものが空洞化していく。だから単なる悲しみではなく、自己の崩壊感、虚無、自己批判として現れる。

 現代の臨床でいううつ病は、この区別をあまり問わない。症状の記述が中心だからだ。しかしフロイト的な意味でのメランコリーは、「何を悲しんでいるのか自分でも分からない」という構造を持っている点で、より深く自己の根拠を揺るがす。

 『アメリカン・ビューティ』の登場人物たちは、この意味でメランコリー的だ。レスターは「何かが違う」という感覚の中で生きているが、失ったものを指差せない。キャロリンの攻撃性も、フィッツの硬直も、喪失の対象を持たない苦しさが別の形で噴出したものとして読める。悲しめない、というより、何を悲しむべきかさえ分からない――それが彼らの根底にある状態だ。

 そしてこれは1990年代後半のアメリカという時代背景とも重なる。冷戦終結後の豊かさの中で、何かが失われたという感覚だけが漂っている。対象のない喪失感が社会に蔓延している、という映画の診断は、その点でかなり精密だと思う。

2. 「一人が好き」の裏にあるもの 令和6年6月7日

シュナイダー、DSM、ASD、シゾイド、シゾティミーの違いを体感レベルで整理する

 「孤独が好き」「他人にあまり興味がない」「こだわりが強い」──こうした特徴を持つ人は少なくありません。しかし、その背景にある「心の仕組み」は人によってまったく違います。ここを混同してしまうと、自分を深く知ることも、生きづらさの正体を理解することも難しくなります。

 今回は、ネット上でもしばしばごちゃ混ぜに語られる、シュナイダーの人格類型・DSMのパーソナリティ障害・ASD(自閉スペクトラム症)・シゾイド・シゾティミーを、できるだけ噛み砕いて整理してみます。精神医学の知識がなくても、「あ、自分はこの傾向に近いかもしれない」と直感的に理解できることを目指しました。

1.まずは視点を分ける──シュナイダーとDSMは何が違うのか

 精神医学には、大きく二つの人間理解の方法があります。

 古典精神医学の大家であるクルト・シュナイダーは、「この人は何病か」というラベル貼りにはあまり関心がありませんでした。彼が見ていたのは、「その人が生まれ持った人格の偏りによって、どのような人生上の摩擦を繰り返しているのか」です。無感情性人格・自己確信性人格・爆発性人格・ヒステリー性人格などは病名ではなく、その人の人生全体を貫く「人格のスタイル」です。

 一方、現代の精神科で広く使われるDSMの目的は、「どの医師が診ても診断が大きくぶれないようにすること」です。そのため、妄想性・シゾイド・自己愛性・境界性といったパーソナリティ障害をチェックリスト形式で分類します。

 極端に言えば、シュナイダーは「この人はどんな人か」を見ていた。DSMは「この人はどの診断カテゴリーに入るか」を見ている。まずこの違いを押さえておくと、その後の話が理解しやすくなります。

2.シゾイドとシゾティミーは何が違うのか

 どちらも内向的で一人を好み、感情表現が少ないという特徴がありますが、意味は違います。

 シゾイドはDSMの診断概念です。その特徴の中心は、「他者との親密な関係に強い魅力を感じにくい」ことです。一人で過ごすことを好み、雑談への関心が薄く、集団への所属欲求が弱い形で現れます。ただし重要なのは、シゾイドだからといって必ずしも「人が嫌い」なわけではないことです。精神分析的なシゾイド論では、「近づきたい気持ちと、近づくと消耗する感覚が同居している」と考えられることもあります。つまり「本当に人に興味がない人」だけでなく、「人との距離感に悩んだ結果として孤立を選ぶ人」も含まれるのです。

 シゾティミーはクレッチマーが提唱した古い気質概念で、障害ではありません。静かで内向的、感情表現が控えめで思索的といった性格傾向を指します。シゾイドが「診断概念」なのに対し、シゾティミーは「生まれ持ったキャラクターの傾向」です。

3.無感情性人格との違い

 シュナイダーの「無感情性人格」も、一見するとシゾイドに似ています。しかし本質は違います。

 シゾイドの問題の中心は、他者との情緒的接触への関心や動機づけの弱さです。それに対して無感情性人格の特徴は、他者を目的ではなく手段として扱いやすいことにあります。他者の苦しみを理解できないとは限りません。むしろ理解していても、それが行動の制約にならない。そこに特徴があります。シゾイドは「そもそく近づかない」、無感情性人格は「近づくことはできるが、相手の痛みが行動を止めない」と言えるでしょう。

4.ASDとの決定的な違い

 ネット上で最も混同されやすいのがASDです。外から見ると、一人で行動する・雑談が苦手・表情が少ない・集団が苦手など、シゾイドと非常によく似ています。しかし内側の仕組みは大きく異なります。

 ASDの中心は「社会的なルールや文脈を読む認知の特性」です。ASDの人の中には人と関わることを強く望む人もいれば、一人の時間を好む人もいます。共通しているのは「関わりたいかどうか」ではなく、「関係をどう読むか」の部分です。暗黙の了解、場の空気、相手の意図を読み取ることに独特の難しさがあります。

 ASDでは「関係の読み方が分からなくて疲れる」ことがある。シゾイドでは「関係そのものへの欲求が弱い」ことが多い。外から見ると同じ孤立でも、内側では全く違う体験が起きています。

5.自己確信性人格との違い

 シュナイダーの自己確信性人格も、ASDと混同されやすいタイプです。

 ASDでは、予定変更や曖昧さへの苦手さ、認知の切り替えの難しさから頑固に見えることがあります。その背景には、不安や予測不能性への弱さがあります。一方で自己確信性人格では、「自分が正しい」という信念そのものが人格の中心です。そのため反論は、情報としてではなく、自尊心や信念への攻撃として受け取られやすい。ASDは「不安ゆえの硬さ」、自己確信性人格は「確信ゆえの硬さ」と言えます。

6.指摘されたときの反応を見る

 自分の傾向を理解するひとつの手がかりになるのが、「何かを指摘された時、心の中で何が起きるか」を観察することです。

 例えば職場で、「もっと周囲とコミュニケーションを取ってください」と言われたとします。

 ASD傾向の人は、「そうだったんですか。具体的にはどうすればいいですか?」とルールの確認や修正に意識が向きます。シゾイド傾向の人は、「そこまで深く関わる必要がありますか?」と、関係への動機づけそのものが問われます。自己確信性人格では、「その考え方自体が間違っているのでは?」と、自分の正しさを守る方向へ向かいます。

 無感情性人格の場合は少し違います。反論や防衛よりも、相手の困惑や苦痛を認識しながらも、それが自分の行動を変える理由にならない、という構造があります。「なぜそれが問題になるのか」という問いが、感情的な防衛としてではなく、本当に分からない、あるいは分かっても関係ない、という形で出てくることがあります。

最後に

 「一人が好き」という言葉の裏には、実にさまざまな心理的背景があります。私たちはつい、ASD・パーソナリティ障害・シゾイドといったラベルで自分や他人を理解しようとします。しかし本当に大切なのは、診断名そのものではなく、「自分の内側で何が起きているのか」を理解することです。

 人との距離感が分からない人、人と関わると疲れる人、他者への関心そのものが薄い人、自分の信念を守ろうとしている人──外から見える行動は同じでも、内側で動いている心理機構はまったく違います。だからこそ、診断名だけで人を理解したつもりにならず、「その人はなぜそう振る舞うのか」という人格構造に目を向けることが大切なのです。

1. ブログ開設に当たって 令和8年6月1日

 日頃の診察では、私が依拠する考え方について、詳細に解説することが難しいので、ここに紹介していきたい。

 私が敬愛するオックスフォードの学者二人がいて、コロナ禍の最中、彼らの発するsubstackを読んだことがきっかけだ。彼らはTom Jeffersonと Carl HeneghanでオックスフォードのCEBM(Centre for Evidence-Based Medicine )の助教授と教授。エビデンスという、コロナ以来濫用され尽くした業界用語だが、彼らはそのプロ中のプロである。

 で、毎度彼らの論考の最後には

This post was written by two old geezers who are nearing the end of the discovery road on F words and politics.とあって、これがとても気に入っている。

「この投稿は、”Fで始まる言葉と政治についての探求の旅も終盤に差しかかった、二人の年寄り爺さんによって書かれた。」

 そこで私も絶滅危惧種の精神科医として思うところを記していきたい。

 当ホームページの挨拶のページにある、推薦映画と図書の中、筆頭にOrdinary People 普通の人々を挙げた。ロバート・レッドフォード処女監督のこの作品について思うところを述べていきたい。

 アメリカ中産階級の普通の家庭を淡々と描いている作品。そこには派手なシーンはひとつもない。しかし、家族の食卓やリビングの空気だけで観客を息苦しくさせる。

 主人公はコンラッドで、彼はうつ病として精神病院入院の経験があり、そこで電気ショック療法を受けていたらしい。腕にはリストカットの跡が幾筋も見える。重症のうつ病患者として治療者側は見ていた。同級生の一人は精神科に対しての偏見を持って彼に接する。受け入れる仲間もいるが、彼は心を開けない。病院で一緒だった女子は、互いに分かり合えていると思っていたが、自殺する。彼女も彼もTrue Selfの叫びに耳が貸せないぐらいFalse Selfが自分を取り仕切っていた。仲間に対しても強がった自分を見せていた。こうした配置の中、コンラッドがメタモルフォーゼを起こすプロセスを主軸として描かれている。彼が女子高生に惹かれるシーンが、パッフェルベルのカノンとともに流れる。これが彼を希望へ繋ぐ兆しとして描かれている。

 ヨット事故で亡くなった彼が敬愛する兄。長男を亡くし、喪失に耐えられない人間として母親ベスが描かれている。コンラッドもこの家族の力学の中では、兄の喪失を悲しむより前に、自分が生き残ってしまった罪悪感を生きるほかなくなっていた。

 彼女は、最後に家を出る。そして父とコンラッド二人の生活が始まるところで終わる。

 コンラッドは、治療者との対話を通じて少しずつ自分の物語を語り始める。一方で家族は自分たちの物語を語れない。特にベスは自分を語れない。悲しみを言葉にできない。彼女が語ることができなければできないほど家族が壊れていく。ベスは変われなかった、愛せなかった、だから出て行った、という解釈も成り立つし一般的だろう。

 しかし、ベスは一貫して感情の欠如した人ではない。むしろ逆だ。感情が強すぎて触れられない。だから統制する。だから秩序を作る。だから完璧な家族を維持しようとする。彼女自身がFalse Self を生きていると言ってよかろう。良い妻、良い母、良い家庭、良い人生を維持することが、彼女のほとんど存在理由になっている。だから長男の死そのものよりも、その死によって自分が築いてきた世界が崩壊したことに耐えられない。終盤になると、彼女は少しずつ気づき始める、問題はコンラッドではなかった。問題は、自分がコンラッドを見ていなかったことだった。ベスは意図的に傷つけたわけではない。しかし、彼女が守ろうとした世界そのものが、コンラッドを窒息させていた。彼女は数年間、あるいは十数年間、息子を見ていなかったことになる。更に夫を見ていなかったことになる。自分が愛だと思っていたものが、相手には圧力として働いていたことになる。これは非常に重い認識だ。そして彼女はそれに気付いてしまった、謝罪なんかでは済まない、だから出て行かざるを得なかった。罪悪感が深いほど、かえって近づけなくなる。彼女は敗北したのではなく、初めて、人生で初めて現実を見たのだろう。再生の始まりだ。

True Self / False Self は、 Donald Winnicott が作った言葉。

ウィニコットにとって False Self は本来、周囲に適応するための人格、社会的仮面、生存戦略、防衛構造である。つまり「他者に合わせて形成された人格」である。

ベスは、元々の家族の中、学校、世間の中で今の家族で演じることになる人格を培って来たのだろう。

そして、推薦図書として挙げている、殊に古典小説では、ex.ドストエフスキーの登場人物になりきるという行為は、むしろ True Self 側の営みに近い面がある。社会適応のために読むのではなく、登場人物を通じて、自分の中に既にある葛藤を発見するから。つまり「人格を装着する」のではなく、「人格の可能性を発掘する」作業である。そして、小説の中で様々な人物と関わっていくのだが、この空間こそ移行空間である。


令和5年1月1日開設のクリニックです。

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